子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

子どもなのに。子どもだから。

連休中に娘の勉強を見ていた。

どうにもこうにも私がイライラしてしまい、その度に嫌味とひどい言葉のオンパレード。

こんなこと、言われたくないだろうなって思うのに私も私を止められない。

なんて事のない問題だった。

 

問題が、「タカシくんがジャンケンをしました。1回勝つと3点入り、負けると1回減点、あいこだと0点です。タカシくんは点数が20点でした。

何回、ジャンケンして何回勝ったでしょう」みたいな問題。

 

最初こそ、ヒントが少なくて悩んだものの、そんなに難しくもない(はず)問題で、これの展開形も含めて娘が全く解けないことに私のイライラが最高潮になってしまった。沸点低い。

 

「この程度でできないって、正直来年、弟が1年になった時に同じレベルじゃないの?」とか「やりたくなければやらなくていいよ。その代わり、ずーーーっと勉強できないねって思われるよ」(誰にだよ!)。

とか、思い返すだけでもかわいそう。いいながら、厳しすぎると思うし、娘が泣いているのに「泣いてる暇とかないから。やるしかないんだから」とか。

子どもの勉強見てるとどうしてこんなにカッカしちゃうんだろう。

他人の子どもには「まあまあそんなに厳しくしなくても」とか余裕綽々なくせに我が子には鼻息荒くパワハラさながらにせめてしまう。マジでこういうのをDVというんだろう。

「良くなって欲しいと思うから。できるようになって欲しいから」とか、言い訳の弁もまたDVのそれと同じ。

自分が嫌になるので、塾利用も必須だなと思う。

たまに私が勉強を見ようもんなら、子どもの心の芽も根絶やしにしてしまう。ただただ、毒親だわ。

 

この毒をこれ以上注がないためにも、自分から身を引くべきだと深く深く反省。

本当は自信を持って問題に向き合って欲しいのに、開始1分で「わかんない」「できない」にイラッとしちゃって本当にダメな親でしかない。

 

そんな娘も、夕方のスイミングスクールでは、一糸乱れずきれいに泳いでいて、彼女の本来はこういう几帳面さや美しさだよな。

だからこそできないことへのアレルギーが強いんだよなぁなんて思って、何かを求めてしまう事の愚かさを考えた。