子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

○○の妻、○○の母。

急に思い出したのは中高時代の苦手な女子のこと。

あの子今、何やってんだろうな〜なんていう感じで思い出したのではなく、最近Twitterで炎上したというスタンフォード大に現役合格した女性の話と、東大に子ども3人を合格させた、とあるお母さんの話について呟かれていたものを読んで、なんとなく脳裏に残存していた。

多分それが引き金になって思い出したのだ。

 

私の苦手だった女子は「将来は首相の奥さんになることが夢」とか言っていた。

単なるおしゃべりの中でしていたのではなく、社会の授業の中での発言だったと思う。それを聞いた時に、心底「興味ねぇわ」とドン引きしたというか、当時の言葉で言えば興醒めしたのを急に思い出した。

 

あの感覚。

 

別に今となっては、

それぞれの夢。それぞれの価値観。

と言ってしまえることなのだろうけども、当時はちょっと理解できないなと思っていた。当時どころか、その「理解のできなさ」は今もある。

 

元夫とうまくいかないのもこんなところだろうな。

 

時々、自分の夢を、社会的立場のある人の「何か」でいることだと考える人がいる。「政治家の妻になりたい」もそうだし、「医者の妻」もそうだろうと思う。

そういう感情への理解のなさというか、共感のできなさが私の中にとてもある。

自分が産まれてきたからには、「私が医者になりたい」とか「私が政治家になりたい」なら理解できるけど、その伴侶になりたいとはどういうことだろう???という意味不明さ。

支えたいというなら、百歩譲っても秘書か事務長か公認会計士だろうと思ったり。

 

もう一人の、もう関わりのない高校時代の知人も「東大を出た官僚と結婚する」と言っていて、合コン三昧の上、狙い通りに結婚したらしい。

ちなみに3大商社の部長と結婚した私の親友のことは妬み放題で、旦那さんへの悪口も最後まで止まなかったとか。心貧しきことよ。

親友は官僚と結婚した知人のことは一生許せんと言ってたけど、親友の人生が充実していて豊かなものであるので、よかったなと思う。

 

ちなみに、官僚と結婚した彼女の次なる野望は子どもに向かっている。

小学校お受験だの、中学受験だの。

一生代理戦争を続けていくんだろうな。

 

私自身は自分をフェミニストだとかなんだとかの定義で考えたり思ったことはないけれど、少なくとも誰であれ自分の人生において、誰かの妻と言われること、母と言われることにはさほど興味がなくて、その立ち位置の魅力というのが全くわからないでいる。

自分の子どもが自分なりに考えた結果、俳優になろうが医者になろうが美容師になろうが、どの道を選んでも(法に反しない限り)親は嬉しく思う。

子どもの手柄は子どものもの。

夫の手柄も夫のもの。

支えるという側面で家族の支えはあるにしても、一方的な関係ではないはずだから自分のアイデンティティを○○の妻というのはそんなに憧れるものなのか?と不思議。

で、○○の妻という夢を果たした後に生まれる○○の母という夢はまあまあ地獄だなと思ったり。