子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

【読書録】原爆が消した広島

この夏、娘の夏休みの自由研究を「原爆」にしようと考えている。と言っても、長崎の原爆のことは今回は難しいと思うので、広島の原爆ドームと平和資料館を中心に調べ学習をまとめる、紀行文のような形にできないかと企てている。

親の一方的な思いかもしれないけど、平和のこと、戦争のことって親が子に伝えることが大事だと思うから。

随分昔のことだけど、アメリカのある家族は思春期の子どもたちと第二次世界大戦について話し合うという。

ちょうど、自分のおじいちゃん、おばあちゃんがその体験者の世代でもあって、身近に話せるというのもあるのかも(もう20年くらい前に読んだ話だから)。

 

戦後も75年をすぎて、どんどん戦争の記憶を持つ人が物故している。うちの祖母はまだ元気だけど、思い出す力がもうない。

 

今年小学3年生の娘にとって、戦争はどんな受け止めなのだろう。ウクライナの戦争を見ながらプーチン大統領に憤慨している。ウクライナの市民が泣いている姿を見て、「かわいそうに。何も悪いことしてないのに」と言う。

戦争を捉えることってすごく難しい。

77年前に終結した戦争が、一体いつ、なぜ始まったのか。広島の原子爆弾について考えるときにそこに至るまでのことにも目を向けて考えなくてはいけないけど、娘はどこまで考えられるかな。

一緒に考えて、悩んで、少しでも子どもの心に記憶に何か残せるといい。

 

で、私もちゃんと本を読もうと思って最初に手に取ったのがこの本だった。

筆者の田邊さんのご両親と幼い弟が原爆の被害者となった。九死に一生を得たお父さんは原爆の後遺症で床に臥してて日本の敗戦と同時に自死したとのこと。

原子爆弾が壊したものはあまりにも大きく、深く、何度も胸を抉られる思いがした。

人を傷つけたり、人の暮らしを壊したり、家族を散り散りにしたり、戦争がもたらすもので良いものなどただの一つもない。

正義の戦争なんてどこにもない。

常々そう思っているけど、こと原子爆弾に関してはどんなに言い訳してもアメリカはその罪から逃れることはできないし、日本に生まれ、日本人として生きてる私も娘も知らなければいけない出来事だと強く思った。

 

原爆が落ちる前の広島の街はとても美しく、人が笑い、泣き、生活を営んでいた。

それが焦土と化して、人が形を留めずに殺されてしまった。

こんな悲惨なことあっちゃいけないのに起きてしまった。

 

あまりの痛みに、田邊さん自身、そのことを口に出せず蓋をして生きてきたと言うことが書かれていたけど、誰にも言えないまま傷を深く残して生きてた人も大勢いたことだろうと思う。

史書歴史評論家の本ではきっと触れられなかった、個人の経験を通した原爆の事実はとても身に迫るものがあったし、こうした人々の記憶を通してもっともっと考えたいと思う。

 

夏に広島に向かう前に、もう少し本を読んで頭を整理したり考えたりして、広島に行きたい。

原爆が消した廣島