心が乾いているわと思うと、まずは重松清。疲れている時、だるい時は重松清の本に限る。
読後感はいつも爽快だしキュンとしてしまうし。
爽やかなタイトルと思って手に取ったのだけど、震災(東日本大震災)にまつわるそれぞれのショートストーリーがまとめられていた。
どの話も涙が出そうになる。
目を滲ませながらページをたぐっていた。
震災からすでに10年以上の歳月が経過していて、あの時のあの緊迫感や恐怖は薄れていたけど、当事者の方々の喪失の大きさとか痛みの深さみたいなものは実は月日が過ぎてからの方が濃くなっていくんだなと思う。
最初は「無事かどうか」が最大関心事だっただろうけども、復興に向けてのそれぞれのあり方、故郷との向き合い方がある。
本当は仲間割れしたり批判しあったりしなくていいはずのことでお互いに険悪になるとか、震災をきっかけに病気になったり精神的に病んでしまうことも珍しくないんだろうな。
震災の報道では取り上げられない、一人の人の傷や痛みがあるんだという当たり前のことに気付かされた。
個人的にすごく苦しく思ったのは、中学3年生の男女が出てくる話。
幼馴染の二人が、地震の直前も高校入試のために一緒に帰っていて、普段どおりの会話を交わして、当日の朝だって普通に学校であっていたのに、放課後の行動が明暗を分けることになった。
地震はいつ起こるかわからないから、誰のせいでもないって当たり前のことなんだけど、生きてる人にとって生きているか亡くなったかわからない人に対してのなんとも言えない思いが残されて、病死や事故死でもない、この感じってすごく言い表し難い。
短編の全体を通して感じたのは、人ってその人との個人的な思い出も大事だけど、それを思い出せる「品」というのもとても大事なんだなということ。写真の一枚も見つからず火事で消失してしまった人、思い出のかけらも何も残らないまま、跡形もなく家が流された人もいるだろう。
こんな形で日常生活が壊されるなんて。
前に読んだ、広島の原爆の本は戦争のせいで日常が破壊されていたけど、自然もまた暴力的に人の生活を破壊していく。
私たちの日々の生活は、ただ生きてただ時間が流れているのではなくて、そこにいろんな「もの」が介在して、「もの」や「出来事」を通して記憶に無数にその人との関係が刻まれているのだろう。
親子、友人、同僚、兄弟、夫婦...いろいろとあるだろうけども、普段当たり前すぎて気にも留めないことの中にしか、その人との思い出ってないのかも。というか、思い出すのはきっとそういう日々なんだろうな。
そんなことを思うと、子どもと暮らしているこのありふれた日常も大事にしなくちゃな。