子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

山内豊信と大井町

先日、息子と娘を連れてちょっと遠くの歯医者に出かけた時のこと。

普段気づいてなかったけど、道中に公園らしき森が目に入った。「よし、帰りはこの公園に行くぞ」と心に決めて、帰りに子どもたちと公園に行こうねと約束をした。自転車で出掛けていたので、どこから公園に入ったらいいものか、細すぎない安全そうな道を登っていったのだけど、ちっとも公園にたどり着かない。

小学校が見えてきて「私が見た森は公園じゃなくて小学校だったのか」と坂道を登り切ったところで普段見慣れた通りに出てしまった。

 

あの森は幻か...ときた道を戻っていたら、なんだか違う景色が見えてきた。

あれこそ私が見上げていた森の正体では?

そう思って、森に向かって自転車を走らせていたら見事ビンゴ。

公園の入り口が出てきた。

 

何年も東京に住んでいるのに全然存在を知らなかった。

保育園でも一度も行ってない公園だったと思う。

名前は大井公園。

小学校の間隣りにあるのに、子どもはそこまで多くなくて比較的静かだった。

多分、少しだけ危なくて行きにくいからだろう。いつも激混みの我が家の近隣公園とは大違いだった。

子どもがしばし遊んでいる間にちゃっちゃっと散策したら、不思議な石が立っていた。

気になる。

そう思って、回ってみたら、山内豊信公のお墓だった。

 

 

山内豊信といえば、日本史で習った人物だわ!ええと、何した人だっけ?と思い出しながらこの看板を読んでいた。

もう少し詳しいことが国会図書館や日本大百科のホームページに出ていた。

www.ndl.go.jp

japanknowledge.com山内容堂という呼び方もあって、大政奉還のあたりで重要人物として学んだことをほんのりと思い出した。

数限りないたくさんの歴史上の人物と出来事を学んだはずの私の脳みその記憶はすっかり薄く遠くに行ってしまっていた。

 

本当はこういう歴史散策とかすごく好きで、若い頃は鎌倉の切り通し全制覇とかして楽しんでいたし、浪人時代〜大学時代はとにかく日本橋近郊を歩きまくって歴史名所を訪ね歩いていた。

今でも築地界隈の私学発祥の石碑は丹念に読んでしまう。

 

また話は脱線してしまった。

公園と豊信公の墓は隣接していて、おまけに小学校とも接地していて、ここ一体が森っぽくなっていた。森と言ってもこんもりと木が生い茂っていて、あっという間に開けてしまうから、そんなに深くないのだけど。

 

保育園で散歩に行かなかったのは、抜け道がいくつもあって子どもらが知らぬ間に国道に出てしまったり、足を踏み外して階段を落ちたり、誘拐されても気づかれにくいなどのリスクが高いからだろう。

 

ちょっとした探検みたいでこういう道ってワクワクする。

 

お墓側から見た小学校。

山内豊信って土佐藩だし東京、まして大井に縁なんかないと思っていたけど、ここが「土佐山」と呼ばれていたことやそのためにここに葬られたってことを今回初めて知った。

きっと、昔の人たちは故郷に似た山や地形を見て、故郷と重ね合わせて土地の別称をつけたりしていたのかも。そんなことを考えると、ますます歴史散歩にワクワクしてしまう。