子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

命の終わり

現実とは思えない事件が、現実に現代に起きた。

 

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最初の速報をネットニュースのタイトルで見た時には、スーツの袖をかすめたのかしら、SPがすかさず犯人を確保できたのかしらと思っていたら、スナイパーでもない銃撃の素人みたいな人の打った銃で致命傷を負ったと後から知った。

それでもその時には「でも、救命は最大限するだろうからきっと持ち堪えてくれるだろう。政治家は不死身っていうのが強みだし」と思っていた。

だけど日本の最先端医療を尽くしても、どうしても救えない命もあるんだという当たり前のことを今日はしみじみと考えてしまった。

 

こんなこと亡くなった方に言うべきではないのかもしれないけど、個人的には好きではなかった。政治家としてというよりも、人としての態度みたいなところがどうしても安倍さんは苦手だった。遺族に対して嘲笑うシーンとか、嘘ついてたら国会議員辞めます宣言の後に結局嘘ついてたのに辞めなかったこととか。

政治家としての手腕うんぬんの前に、仲間でつるんで仲間と認識しない人たちを小馬鹿にするような鼻で笑った姿にちょっと本当にむりだなと思ってしまったことがあった。政治家など多かれ少なかれそういう人たちが多いのだろうけども。

 

ただ、強く思うのは「だから殺されていいなんてことは絶対にない」ってことだ。

なんてことだろうと思った。今生きている人たちは多分みんな200年後には存在していない。この地球上で生きていられる期間なんてどんなに長くても100年とちょっと。

200年は生きられない。

なのにその有限の命を誰かが終わらせていいわけがない。

ましてこんなふうに武器で撃たれて死ぬなんて。

安倍さんに関していうと、いくつかの疑惑もあったしもう少し真相究明してほしいなと思う事柄もあった。だからちゃんと彼に生きててほしかったし、表になってない真実がまだあるなら、ちゃんと彼の口から語ってほしいと思った。赤木さんの件だって中途半端に幕引きした印象だったし。

 

この事件できっと自民党はものすごく強く団結するだろうし、それは心情的に理解できる。それに国民の多くも票を投じるかもしれない。

だけど、この事件と日本の今後をどこに託すかは私の中では別の話だし、悼む気持ちは自民党への票行動と結びつかない。というか、私はもうとっくに投票を済ませちゃっててなんの影響も受けようがないのだけども。

 

なんにせよ、ムードで判断するようなことをする大人にならないぞと15歳の頃に歴史と社会を勉強して心に刻んで以来、本当に誰に託したいのか?を選挙の時に考える。

 

安倍さんの死はあまりにも早くて呆気なくて、切ない。

本当に何度もあってはいけないことだと思う。

子どもたちはしまじろうの映画を見てケラケラと笑っている。公園も駆け回って遊んでいた。

同じ日に、同じ時間に泣くものと、遊ぶものと、働くものとが混在するこの世界。

どの命も守られ、天寿が全うできるように誰も他者の命を脅かさずに生活していける国を、社会をどうしたら作れるのだろうか。このことのための政治。

もしもこのことで、治安維持法などが復古したり武器だ、戦争だという世界が訪れるのであれば、たとえそれは安倍さんが望んだ世界であったとしても私は反対していきたい。

ただただ、どの命も守られて全うできる社会だけを求めていきたい。力で人を捻り潰す社会を実現させたらこの犯人と同じことなのだから。