子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

【読書録】木曜日の子ども

娘が非常に悪いことをクラスの子にしていたことがわかって、謝罪に行った帰り、私の精神が収まらず、「図書館行こう」と娘を誘って図書館に行った。

気分を心底、変えたり向き合ったりするには読書。

本で繰り広げられる世界は積み上がっている自分の問題を一旦保留させてくれるし、最終的にまた問題を目の前においてくれる。

でもその時には、言葉とか世界観とか、少しだけ手がかりを増やす形で戻してくれる。

 

娘がわけわからんことをやらかしたな。

こんな気分の時にはやっぱり重松清だ。そう思って、借りたのが「木曜日の子ども」。

40を過ぎて独身貴族だった男性がひょんなことから中学生男児の親になる。

「経済的に恵まれているんだな」というのを横目に読み進めた。なんとなく、薄きみ悪い感じがつきまとう中学生男児

 

その息子(中学生男児)が被害者なのか、加害者なのか過去の事件が蘇って巻き込まれていく感じはなんともホラーというかミステリーなのか。

だけどさすが重松清。「家族」というテーマもブラさずに、外れずにしっかり軸を持って展開されていく。

 

子どもが子どもの世界を持って生きてること。その世界と大人になった時の自分というのは地続きであることをあらためて思う。

「わからないってことは怖い」という台詞はなんだかずしんと来たし、子どものことがわからないってことが不安や恐れを生んでいるのだとしたら、きっとその差って埋まらないだろうなと思う。

小さい頃には「お腹が空いた」「眠い」っていうわかりやすい「わからなさ」を確かめていくだけで良かったけど、大きくなるにつれて複雑になっていく。その中では自分とは違う感覚や思考回路で考えを展開させていくなんて当たり前だし、それがわからなくて当たり前なのだろう。

 

1から10までわかることがなかったとしても、そのうちのいくつかはわかりたいなと思うし、子どもを全体的に(全人格的に)受け止めていく、受け入れていくってことをできるようになりたいなと思う。

 

後半はかなり重めの展開だったけど、その重さが重松清の筆で読み進めやすくなっていて、一気に読んでしまった。

木曜日の子ども (角川文庫)