【読書録】家族という呪い
子どものいない週末、掃除も洗濯も片付けもぼちぼち終わって、さあ何をしようと考えて借りてきた本を読むことにした。
借りた本を当日中に読むという贅沢。
借りた本の一つが「家族という呪い」。
仕事柄、必ず家族構成は気にしている。どんな人にも親がいる。
天涯孤独の人とて幼少期があり、関わった人が存在する。その人たちとはすっかり全く縁が切れている人もいれば「実はおばさんが面倒を見ていて」だったり、「血は繋がってないけど亡くなった夫の兄弟の妻がキーパーソン」みたいな女性もいる。
家族の誰かが加害者になった時、私はどういうふうに関わるのだろう。
どうしたら良いのだろう。それを何度となく考えていた。
子どもが加害者になった時には見捨てることができないけど、例えば夫婦だとしても離婚せずにいる家族もいる。
みんながそうとは限らないけど、親子にしろ、夫婦にしろどうして家族は簡単に共依存になってしまうんだろう。
本当に気をつけていないと、「私がいなければこの子は立ち直れない」とか「家族みんなで罪を償います」とかそういうことが割とこの社会にはあるだろうなと思う。
著者の指摘ですごく納得だったのは「この子を殺して私も死ぬ」みたいな、子どもの罪=親の罪という価値観も、子どもと親が別物ということ、切り離して考えることをしない故の考えというような指摘(正確な文章は忘れてしまった)。
それに、情状酌量の根拠にも度々「家族みんなで更生にあたる」みたいな、家族がしっかり見ていくということを前提としたものがあるらしい。
もしも家族が防犯的に機能するなら犯罪にはなってないはずだよねという当たり前の視点は司法の中にも抜け落ちてるらしい。
家族にあれこれと押し込めず、子どもが人格を持ち、人権を持つ存在として扱い続けていくしかないんだろうと思う。我が家の子どもたちであることに変わりはないけど、一人の人間ということがそれ以上に前提になっている。
私がやるべきことは子どもが安心して帰って来られるように家を整えておくことだな。
掃除もするし、家を快適にするのも大事。それに子どもと過ごす時間を大事にしていかなくちゃな。