夏は娘の誕生日。幾度となく考えて、同じことを思う。以前にも書いたけど、子どもが生まれるまで本当に憂鬱だった。
特に妊娠初期〜中期は胎動も感じにくくて生きているのかどうかもわからないから、ずっと不安だった。もしも私が普通に過ごすこの時間のなかで子どもの命に限りが来ていたらどうしようか。そうなった時に私も死んでしまうのではないか、生きていくことができない。
そう思っていた。
臨月に入ってからたびたび胎動を確認できるようになって、多少弱くても生きていればなんとかなると思っていた。
最終的に病院に入院したときは「もうこれで生きて生む可能性を限りなく高められた」と思ってほっとした。あとは仮死状態で生まれてくるかもしれないリスクを考えつつも、ずっと心音は確認しているし、生きているからきっと大丈夫。そう思えていた。
娘は今年無事に9歳を迎えた。
長かったような、あっという間のような。
この先どんな事があるかわからない。
だけど、お腹にいた時に感じていたプレッシャーは今はない。
この先にどんな事があっても、医学の力や娘の生命力で乗り越えていけるのではないかという気がしている。
だけど、病院で働いていると時々悲しいことにも立ち会う。
子どもの看病をする親や子どもを亡くす親もいる。
無事に子どもが産まれたことと、無事に成長することはイコールじゃない。頭ではわかっているのだけど、子どもに関しては病気などで親が身を切る思いをしている様子を見ていると特につらいなと思う。
無事に生まれることが最初の奇跡。あとは毎日壊れそうな子どもが逞しく大きくなっていくこと、この毎日も奇跡の連続。
結局、当たり前の日々なんてなくて毎日が壊れるか壊れないかの本当はギリギリのところで過ぎていってて、奇跡の連続なんだろうな。