子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

一人で二人見る

親一人、こども二人。

我が家の家族構成は息子がこの世に誕生した日からずっとこのままできている。

もう少し子どもが小さいときには「ママだけどパパ的なこともやるよ」と思っていて、子どもを抱っことおんぶで出先から帰ったこともあるし、ダブル抱っこも数数え切れないほどしていた。

さすがに小学3年と年長ともなれば、ダブル抱っこはできない。

 

それにこの家族構成も6年目を迎え、初期の頃ほどに私が「一人で父的なこと+母」までやらなくていいかなっていうかできないか。と思っている。

仕事が大好きで平日は8割仕事に占拠されている。ワークライフバランスとは?状態だけど、多分きっと、私の性格は単純に仕事が好きな性分なのだろうと思う。

 

この私の姿を見て、子どもたちがどういうふうに受け止めているかわからない。

だけど「ママはパパじゃないし、完璧じゃない」ことくらいは十分に伝わっていると思う。

それはそれですごく大事だと思う。

 

小さい頃、私は両親がどこか完璧に見えていた。

父はほとんど家に居なかったけど、すごくあちこちと連れていってくれた。と言ってもクリーニング屋さんとかゴルフの打ちっぱなしとかなんだけど。

子どもにとって、父親の趣味や日常に付き合わされる週末というのは、平日と違う場所に行けて楽しかった。お気に入りのガソリンスタンドもあって「ガソリン入れるならあそこにいってよ」とか言ってた。

あの匂いも好きで、そういえばガソリンスタンドでバイトする夢も見ていたっけね。

 

母は何度か書いている通り、プランZくらいまで用意するくらいの徹底ぶりであれこれの対策を講じながら生活しているから、文字どおり完璧だった。割と、私が病むまでずっと完璧なママだった気がする。

母親が完璧じゃないって気がついたのは、もしかしたら私が病気になった時か。

 

家の中のこともまともにできない私だし、料理も美味しいんだかよくわかんないもの作りがちだし、片付けは苦手だし、仕事からの帰りは遅くなりがちだし、母親としての不完全さは幼い子どもにも伝わっているだろうと思う。

 

だけど、自分が完璧にできないから他者に求めるハードルも少しは低い。

半永久的では困るけど、例えば1日の終わりに「子どもがダラダラと過ごす」というのはすごい大事〜と思っていて1時間くらいは全然だらっと過ごさせている。寝る時間がそのせいで遅くなっている気もするけど、1日張り詰めて過ごした(とした場合に)分、弛緩する時間て私自身が必要としていたから、子どもも欲しいんじゃないか。と。

 

結果的にはゆるゆるの不完全な仕事好きお母さんという感じに仕上がっている。

 

私の今があるのは、ひとえに子どものおかげ。

 

本当、影に日向に子どもには助けられている。