夜、寝るときにTwitterやインスタを眺めている。
インスタでは好きなファッションとか景色、芸術作品などを眺めたりしているのだけど、時々闘病している人などのインスタやTwitterを読むことがある。
毎度毎度、感情移入してしまいすごく辛くて涙を流している。
私がないたところで現実は一つも動かないのだけれども。
Twitterなどでフォローしてしまうと「あんた誰」となりそうなので、時々気にしてみて、ホッとしたり号泣したりしている。
幼い子どもの病や死は非常に心にくるものがある。自分を責める親御さんの気持ちもすごくわかると同時に、まだ全てはわからなくても必死に生きようとしている子どもにも涙だし、もっと小さくて赤ちゃんの場合は、わけもわからずにママやパパから引き離されてどれほどの心細さだろうか。想像しても仕切れない。
息子や娘は今の所幸いにも健康だけれども、これは当たり前のことではない。
高齢者の病と幼い子どもの病はやっぱり全然違うと思うのは、幼い子どもに本来与えられていてほしい時間がまだまだあって、その時間を命を諦めたくないからなんだろうな。
高齢者になると「寿命」ということを考えながら先生たちも日々の診療にあたっているなぁと思う。
人間のエゴで寿命を人工的に延ばすことへの抵抗感というか違和感。
だけどこれ、幼い子どもなら「ひょっとして回復する」という可能性に最大の期待をしていきたいと思う。
例え医師から「可能性はない」と言われようとも、幼い子どもの命ってあまりにも大事すぎるしこんなに壊したくないものって世の中にないと思う。じゃあ、幼いの線引きって何よってことにもなりそうだけど、そこはとても難しいなと思うけど、SNSを眺めている雑感として子どもの命は宝でしょうって思う。
見ず知らずの他人のおばさんは、どこかで病や怪我と闘っている子どもがいるというだけで涙が溢れてきてしまう。