子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

生活保護と大学生

ふとニュースサイトを見ていたらこのニュースが目に止まった。

news.yahoo.co.jpこのニュースを「仕方ない」という言葉で片付ける人もいた。次の理由として「貧困家庭などいくらでもあるのだから」「奨学金利用のハードルが低いでしょう」と。

ああそういう認識なのかとびっくりする。

 

日頃、生活保護に対して非常に厳しい言葉を投げつける人も世間にはいる。

多いか少ないかわからないが、SNSなどでは特に際立って多く感じられる。

日本の多くの企業では高卒と大卒でその給与に格差がある。大学卒業じゃないとすぐには取れない資格も多い。

例えば私は保育士資格の勉強をしているけど、大卒であれば受験資格が自動的に与えられている。社会福祉士を取った時も、通信コースの受講資格として大学卒業であることがあった。

大学時代はそんなこと考えもせず、当たり前に大学を卒業してしまったけど「大卒」ということで履かせてもらっている下駄の高さに驚いた。

他にも、大学では教職免許も取ったからこうした資格も大学ならではで取れるもの。

 

生活保護家庭で育った子どもたちの親にどんな背景があるかは各家庭全員異なるだろう。ただ、以前も書いた通りで病気と生活保護というのは比較的近くにあって、病気ゆえに3年働けないとしたら生活保護を受けざるを得ない人というのは日本国民でもそれなりの人数いるのではないかと思う。独り身ならまだしも、子どもがいるとか親を養っているとか、扶養している人がいればさらに生活保護受給せざるを得ない差し迫った状況が短い間にやってくるだろう。

 

実際、入院を機に生活保護の手続きを取らざるを得ない人に、病院で働いていると日常的に出会うことになる。

何をきっかけに生活保護を受けることになったかは別として、その子どもが高校を卒業して大学を目指すことは貧困家庭でも大変だけど生活保護世帯でも大変であるだろうと思う。

いろんな家庭があるだろうけども親が病気で、親の看病や通院付き添い、何かあったときには迎えにいったり呼び出されたり。そんな子どもも中にはいるだろうし、親自身が勉強することを応援してくれないパターンもあるだろう(これは貧困家庭も同じく)。

 

哲学の授業で昔、「あれかこれか」ではなく「あれもこれも」と(なんだったか忘れたけど哲学概論か哲学史にて)いう言葉を教えてもらったけど、貧困家庭か生活保護世帯かではなくて両方が救われる制度を設計してもらえないだろうか。と思う。

あと、大学に行くなら世帯分離って酷すぎる人権侵害まがいのことをよく恥ずかしげもなく言えちゃうよなと思う。

家族、家族って普段は言うくせに、いざ生活保護世帯で大学に行きたいと思うと「親元離れて個人で頑張れよろしく」って酷すぎる。それを20歳に満たない子どもにいうか。いい年した大人が(社会が、政府が)。

 

憤りでいっぱい。

未来ある若者であることに貧富は関係ない。みんな等しく大事な子どもたち。

そういう視点に立ってないことを公言したようなものだなと思う。