子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

再び・明るく働く

最初に出会ったころは怖い先輩だと思っていた。「こっちで判断するからいいですよ」って強く牽制され、良かれと思って対応した電話もまとを外してしまったようで、強めに注意されたことも何度か。

意地でも全部メモで残す、聞かないってしたけどそれでも先輩はその方が良いらしかった。

あの頃の私にはそれが理解できないこともあったけど、今となってはわかる。

誰が言ったか、何を言ったか、ものすごく細かなところに神経を張り巡らさないと事故が起こりやすい病院。

安易な対応は、後々に病院を不利にすることもある。

親切心で話したことが、情報漏洩になることもある。そのこともわかってなかった(危ない!!)ような気がする。

やってたつもりでも甘かった。

 

それが、1年たち、2年たちする頃には私の中ではなくてはならない存在というか、いつだって頼れる先輩だと認識するに至った。

結局のところ、最初の印象だけで相談したり報告するのをやめていたら今の関係は築けなかったかもしれない。とにかく先輩に恥を忍んで、恐怖心を押し殺して相談したことで私の弱さも、得意なことも先輩はより見抜いてくれていたと思う。

 

大好きな先輩だ。

その人が教えてくれたこと。

「明るく働こう」って。

 

私たちの仕事(MSW)は死と背中合わせだったり、病気と生きていかねばならなかったり、家族の存在の喪失(一時的でも)という非常にシビアな局面に向き合うことがある。向き合う家族と向き合うというか。寄り添うというか。

時として家族の受けたいろんな感情をこちらに反射させることもある。

 

私たちのかける言葉や表情一つで空気感もガラリと変わってしまう。人生を変えてしまう危うさや恐ろしさも孕んでいる。

 

そういうことの畏怖というか、時々身のすくむような想いだってする。

 

だけど、自分自身がそれに圧倒されないために、一つにはスキル、知識をアップデートしていくことが大事だし、もう一つには心構えとして「気持ちをリフレッシュさせる」というのもあるだろうと思う。

コロナが流行り始めた頃、マスクがない、消毒が足りないと毎日のようにピリピリとした病棟ムードもあったけど、先輩はそうしたものに流されずにどんとしていた。

私もどんとしていたけど、先輩のようにそこに対しての気の向け方はもう少し曖昧だったと思う。

 

今、年始早々に忙しい。

だけど、気持ちの余裕ともいうか、心持ちは明るく、いつだって新鮮な気持ちでいたいし忙しい時ほどそんなことを思う。

残業の夜に先輩のことを思い出して、ああ会いたいなぁとか懐かしいなぁなんて思った。