つい最近、Twitterに流れていたこの投稿。
半年ぶりに口から食事をとりガッツポーズの男性。
— 森田洋之@「医療」から暮らしを守る医師/「人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?」発売中! (@MNHR_Labo) 2023年1月13日
入院中は禁食、経鼻経管栄養、手にはミトン→昨日自宅へ退院。ご家族がミトンを外したら速攻で鼻の管を自己抜去されました。嫌だったんでしょうね。
僕が本日初訪問。全然食べれる。椅子にも座れる。なんなら歩けるよ。
病院の安全安心は誰のため?↓ pic.twitter.com/bHpT5aMbVS
この最初のコメントは「ああそうなんですね」で済むコメントなのだけど、個人的にはその先に続くツイートに疑問符が拭えなかった。
こちら側の努力がなければこの方は口からものを食べられず、安全・安心という生権力・鉄の檻の中で一生を送ったであろう、ということ。
という言葉には、急性期病院や回復期病院への不信感を感じ取った。
私もひどい回復期で働いていた経験があるし、「は???」っていう退院支援をしている回復期病院からきた患者さんを急きょ対応して在宅調整したこともあるから、どこの病院も在宅に向けて志高く、きっちり支援しているのかと問われると、うーんなんて言葉詰まっちゃう部分はある。
それでも、「檻の中」か。
急性期病院てそういうイメージなのか。
かつては揺り籠から墓場までで、超長期入院もありえた病院も今や機能別に役割が細分化されている。
急性期は治療する病院だし、在宅は治療で整った体調を維持・再発予防していく+患者さんの細やかな医療的ケアに対応するなどの役割を持って対応している。
急変すれば救急車呼んで急性期病院に搬送されるケースも少なくない。
だから急性期と在宅医療は地続きだし、お互いに役割分担をしている(補完的)と思っていた。
だけどどうにもこうにもこの対立構造的なものの書き方。
日頃からそういうスタンスの方なのだろうと思う。
それでふと思い出したけど、以前先生が「長く在宅で診てくれてたなら、ふっるい上に本人に合わない薬を出し続けるんじゃなくて変更の検討とかしてもよかったんじゃないかな。それに家族があんなに大変な思いして在宅で(患者さんは独居、働きながら子どもが通って介護)みてるんだから、区分変更とかできることあったよねぇ」なんてチラッとこぼしていた。
急性期の先生でも在宅医療に期待していることやガッカリしていることはある。
でもそれってお互い様なわけで、その話をSNSで載せちゃうのって違うんじゃないかな〜なんて思う。
だけどまあ、SNSだしその人が言いたいこと言えばいいとも言える。
言いたいことをおっしゃったのだろうけど、病院で働く身としては若干の違和感が拭えなかった。