一気にのめり込むように読んでしまった。と言っても、通勤時間は電車内3分で短くて、合間合間に読んだから一気読みはできなかったけど、それでもだいぶ集中して読んでいた。
何せ、読みながら危機感がつきまとって変な緊張感と不安がつきなかったから。
ゴミに埋もれてなくなった人の多くは社会から孤立しているという。だけどそれは「社会生活を営んでいない」ともまた違うことを知った。
日中は普通に働いていてそれなりに社会的地位を築いていても、積年の「もの」で溢れてある日亡くなっているケースもあるという。孤立というのは、表向きな付き合いではなく腹を割って、内側を曝け出す関係性のある人がいるかどうかということだと思う。
私も家に人は来てほしくない方で、部屋は散らかりやすい方で、まさに予備軍という危機感。
後生大事にしているMacのパソコンがあるけどこれも処分するしかないか。
大事にとっておいたところで、それは見返すこともないだろうし。
だったら処分するしかないかななんて思う。
先日、いらない鍋やフライパンを処分したばかりだけどこういう「家の引き出しや棚にしまっている不用品」も結構あるし、定期的に断捨離したり家具を移動させたりして家をこぎれいにしておかないと、我が家もあっという間にゴミ屋敷になるだろうなという不安。
絶対に家はゴキブリ一匹もいてはいけないし、ハエもどんな虫も寄り付かせたくない。
ちょっと関係ないけど、病院で働いてて一番ありがたいのは衛生については大事にしようというところであること。
雑菌OKなんて誰も思ってないし、常にアルコールや次亜塩素酸など必要な消毒の類もあるし、衛生用品には事欠かない。
常に清掃員が清掃していて、私たちも身の回りの除菌やシンクのカビ予防も気を配っている。
過去にいくつかゴミ屋敷と言われるようなお家を訪問したことがあるけど、衛生環境には気を遣いたいくせに、物の扱いについては果てしなく私はゴミ屋敷にしてしまう人の家に近いような気がしている。
特定のものを収集する癖はないけど、なんだか捨てるのが緩やかに苦手。
絶対に捨てられないとかはないけどちょっと気に入ったものはいつまでもとっている。あまりにも物持ちが良くて、小学1年の時にディズニーランドで買ったマリーちゃん(ねこ)のメモ帳も、7人の小人のメモ帳も、小学生の時に集めた各種シールもまだある。
懐かしくてさらに使えない、捨てるなんてとんでもないなんて思っている自分がいる。
本の感想から随分離れてしまった。
物の処分を定期的にしていくこと、私は生きていくためにできることを選んでいきたいと強く思った。
だけどメンタルが壊れたら誰だって、何もできないししたくなくなるよね。
なんだか、ゴミ屋敷のその裏に潜む各個人のあり方とか思いとか、病気とか家族とか、語りきれないあれこれがあるんだなと思うと、読み終わった後もしばらく考えさせられた。