子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

ボランティアとお仕事

タイトルそのままのことなのだけど。

今年度、PTAをやっててよかったと思ったことと、そのエピソードはとても教訓になったという話。

PTAの会長さんと話してて、「名物お父さん」の話になった。

その保護者は小学校児童のお父様で、子どもの朝の登校を必ず見守っているという。

そして大通りを渡る子どもたちの安全パトロールもしているという。

 

ここまではとってもいい話。話を聞きながら「なんていい親御さんだろう」なんて能天気に聞いていた。

でもここからがホラーだった。

 

「通学路から少しでも外れてるとなると、追いかけていって怒鳴ったり、挙句のはてにランドセルを引っ張ったりして、子どもが転んじゃったりということもあったのよ」。

 

心底驚く。

ショートカットは確かにだめよ。ダメだけどさ、注意の仕方っていうのもあるし、一保護者が正義感振りかざして子どもを怒鳴ったところで子どもは従うのだろうか。

おまけに、ある日児童と保護者で登校していて、やはりショートカットコースを歩いていたらしく、同じように注意して(こういう公平性はそのお父様にあるらしい)保護者と大喧嘩したらしい。

いくら学校の規定のルートがあるとはいえ、保護者同伴の時は保護者の監督下のもとで違うルートを通ることもありうる。

例えば、朝病院に寄ってから登校して、その時に通学路から外れざるを得ないからっていちいち噛み付くのだろうか。

何がなんでも規定の通学路以外通れないなんて、そんな規則だったっけ??

 

それに、子どもが休んだ日にその親御さんはパトロールするのだろうか。

学校は「よくやってくださっています!!」とか言って、感謝の意を表しているらしい。

好きにしてくれ、って世界なのだけど、子どもの安全を本当に考慮するのであれば「できる時に見守る」というボランティアベースでではなく、組織だって仕組みとして見守っていくべきじゃないか?と個人的には思う。

で、うちの区は基本的に高齢者の人材センターで既にそういう仕事が薄給だけど存在していて、現にうちの父も朝夕の見守りおじさん(おじいさん)をしている。

 

決められたポイントと時間で、一定のマニュアルに基づいてパトロールすることって結構意味があるし、完全ボランティアだったら、そこは児童にも学校にも求められないよなぁと思う。

だって「きみ、道が外れてるよ」とか急に声かけられても「は?あんた誰?不審者??」くらいでしか子どもにとってはないし、ランドセル引っ張られたりしたら緊急通報のボタンを押しちゃう。それくらい大人の男性に怒られるって怖い。

 

とかく、誰かの善意で始まったものってそれが講じて良いものになることと、よくない結果になることとが背中合わせにあるなぁと思うし、問題があるから改善していこうというのであればボランティアベースではなくて組織的に行っていくべきだと思っている。

その辺の話をPTAでしていた。

「もっとこうすればいいのに」とか「どうしてうちの学校は、児童たちは...」など不満を募らせるなら、PTAの中に入って活動するなりして問題意識の共有と改善と、継続的な活動へのPDCAを回していくべきではないか??など思う。

 

朝のパトロールを行うお父さんのモチベーションはわからないし、夜勤明けの寝ぼけ眼で一人活動しているようなのだけど、子どもが一緒に朝行きたくない年頃になり、「お父さん来ないで」「パトロールやめて」と言った時にどうするんだろうか。

ボランティアって止めるも始めるも自由だから、それでおわりなのだろうけど、問題意識があって始めることなのであれば、もう少し上手いやり方ってあるなぁと思った。

 

PTAにいるとそんな細かなよもやま話も聞けてしまう。