子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

都合のいい解釈。

人の去来の激しいこの時期、去る人の去り方についてしみじみと職場の師長さんと語り合ってしまった。

辞めるよりもはるか前のこと、師長さんとその部下で面談をしていた時に面談途中で感情が乱れて部下が部屋を飛び出してしまったという。

どこで何をしているのか、どうしているのか心配して探し回ってあちこちを駆け回ったけどどこにもおらず、結局随分時間が経ってから、部屋に戻ってきて「さっきはこういうことでこうでした」みたいな話もなく、普通に仕事に戻っていたという。

 

今回その部下の方が退職するにあたっても、メール一通を送ってきて看護部長との話し合いも報告は特になく「話しました」もなく、淡々と仕事をしていたことに師長はびっくりしていた。

ま、私もそれを聞いてびっくりした。

理由としては「別に報告はいらないと思った」ということらしい。

今の職場を去るのも割と急に聞かされた話だったけど、辞める方はもう何年も前から考え、決めていたことらしく。

言うタイミングは決まってないけど、管理者の一人だったこともあって、今後の運営にも関わってくるだろうしなかなか辛いところ。

師長さんも「期待してた分だけね。。。」とショックは大きかった様子。

 

でも師長さんは師長さんという立場だから最後まで「他の子に悪い影響ないといいな」とそればかりを心配していた。

 

辞めていく人の話を聞いてないから片方だけの話だけど、「これはこう言うふうにやるべきじゃないかな?」と師長さん側が提案するとむっと黙ってしまうらしく、その後の話し合いにならなかったとか。

そう言うのって結局、指摘されたことの中に「私も悪かったかも」とか「私がもっとこうすればよかったのかな」と言う考え以上に「私は悪くない」が結論的にあるから歩み寄れないんだろうなと思う。

 

私など指摘を受けるとすぐに謝っちゃうしすぐ反省しちゃう。なんならちょっと多めに引き受けちゃって反省している。

明らかに病棟で完結すべき事柄でもこちらに話が来たときに、「それは病棟で」と差し戻しても「あ、でもなんかもう少しこう言うことくらいはできたかも」などなどつい、自分の改善点もセットしたくなる。

組織で働いている以上、それくらいがちょうどいい。

「私は悪くない。私の問題ではない」って思い続けている限りは成長もないだろうなと思うし。

それに私などは最後まで上司のやり方(指示)に従って仕事は進めていくべきと思うほうだけど、私の独自路線を組織内で強く出したところでいいことはないし、辞めるという局面で一気に自我を開花されましても...と言うのも事実で。

 

ま、色々な人がいるけどあえて言うのなら「勉強になります」という感じだった。