子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

離婚した後、子どもたちの心は?

朝からとても気になる記事があり、ようやくさっき読むことができました。

 

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 登録しないとネットじゃ読めない仕様なのでなんとも悶々としていましたが、ようやくさっき読みました。前半、というかタイトルでは悶々としたのですが、内容を読んだらとても素直に頷けるものでした。

 

息子が生まれてすぐに離婚してしまった自分に対して、きっと私は一生、自分に問い続けることになるだろうと思います。「これで良かったのだろうか」と。

 

でも、離婚しようと決めた時も、そして今も思うことは、たとえ婚姻関係を継続していても「これで良かったのだろうか」と自問し続けるだろうということ。

 

離婚を決めた時、はっきり言ってやり直せる余地はもうほぼなかったものの、夫への感情的な憎しみや嫌悪はなかったです。それは今もないのですが(向こうはあるかしら)、嫌いで離婚したわけではなかった、というよりもこの先一緒にいてもっともっと嫌になって、嫌になった延長で、大嫌いになったらきっと子どもも辛い、私も夫も辛いと思ったのはよく覚えています。

 

今でも(今日も)別れたけど夫に電話で叱られ、こちらの考えもあまり聞いてくれずに結論ありきのスタンスなので閉口したばかりですが、「まったくもう!嫌んなっちゃう!」で済んでいるので距離を取ることで私は彼と子どもたちの親としてやっていけるのだろうと思います。

結婚生活が離婚するほど嫌だったかというと、本当に細かな砂みたいな降り積もり方で「嫌な感じ」はあって、拭っても拭っても消えなくてかえってどんどん増えていく感じはしました。

 

ただ、一方で彼の抱えている支配したい気持ち、人を上か下かでしか見ない感覚については本当に不安があり、子どもたちが大きくなったら大変だなと思っていました。

予想外のことに苦手な人なので、「子どもが外出先でトイレ失敗した」とかもプチ許せず、「なんで早く行かせないんだ!」と怒られることもありました。いや、行かせたけどその時はどうしても出なくて電車乗ってる間に間に合わなかったんだよというのが理解しがたいようでした。

よくあるパターンだったのが、娘の粗相で私が怒られてるの図。

これって絶対に娘の精神衛生上良くないと思いました。

 

そこから夫の勝手な進路変更や向こうの家族のことなどいろいろあっての離婚でした。

「離婚した子供は不幸になる」という不幸の言葉を彼の友人からいただきましたが、その友人の言葉を聞いてますます離婚を決意したり。

 

でも、今でも娘は毎週パパと会っていて、息子もあってほしいけどなぜか娘優先になっているという現実。

これが我が家。

娘は遊んだ後にもっともっとパパと遊びたい!というし、時々は泣きじゃくります。だからそういう時は本当に悩むし申し訳ないと思います。でも、別れない選択をしたとしていがみ合っている自分がいるのも火を見るより明らかで、もっともっと夫への恨み憎しみを募らせることを考えたら、娘の心をしっかり受け止めて受け入れて、私も元夫ちゃんと話せる状態でいたいと思いました。

 

ここの記事にある「グラグラ」しちゃうのも現実だと思います。

ステップファミリーはまた違う大変さもあると思います。

 

でも「家族」って全部違うから。こんなにバラバラになってしまったけど、娘と息子と私とそして元夫は家族だと思います。

元夫はどうしても「ここじゃなくちゃ」という組織で働き始め、場所も東海地方と離れてしまいますが、彼がその地で頑張ることを多分、私は誰よりも望んでいて、そして彼の危うさを危惧していて。

「離婚したくせにまだ心配してるの?」と親に言われますが、他人になりきれない部分はあるなと思います。

 

私のケースが他の人にハマるとは絶対思えないし家族のあり方もいろいろ。

でも、そんなことは子どもは知ったこっちゃないからいつだって「パパに宝物だと愛されてる」「ママに大事にされて愛されてる」って思えるように親として最大限の愛情を伝えていかないといけないなと思います。

それは抱っこだったり、一緒に遊ぶ時間だったり、子供との関わりの中で伝わるものなのかもしれないですが。

 

毎週会ってるけど、養育費はないし何なら毒吐かれまくることもあるのですが、離れているからこそ、おおらかに?すぐに忘れてまた夫と話したりできるのでやっぱり私は結婚に向いてなかったのかもしれないと思いました。

 

そんな私の弱さが子どもに迷惑をかけることもあると思いますが、自分なりに子どもの心のケアは一生考えていかないと。

 

ずっと続くベビーカー論争、子育て界隈の話題。

娘が生まれた約6年前も、そのずっと前も、そして今も不毛に続く公共交通機関におけるベビーカー論争。

 

 

こんな意見や

 こんな意見も

 私の場合は、上の娘が一人だった時は抱っこ紐での移動がメインでした。その方が自分も楽だし、雨風を気にせず移動できて良かったからです。

下の子を妊娠してから娘3歳で重いし妊娠中に重いものを長時間抱えるリスクもあったのでベビーカーを活用。

息子が生まれてから出かける時は娘は徒歩、息子はベビーカーです。2歳〜3歳っていうことが聞けないお年頃なので、出かける道中に事故のリスクが潜んでいます。

息子は重すぎて抱っこもおんぶも辛いし、なんなら眠くなった娘の抱っこも控えていて割と度々、娘を抱っこしながら片手でベビーカーを押しています。

我ながら力持ち&ハンドル捌き秀逸、と励ましながら。

 

舌打ちされたことも、蹴られたことも、邪魔と言われたこともないですが、きっとそう思っている人はいるだろうと思いながら移動しています。ネット見ると世の中の悪意ってものすごくいっぱいあるから。

 

電車通勤をしていると、時々赤ちゃん連れや子ども連れの親を見かけます。そんな時に電車で毒づく人を見たことはないのですが、子どもの中には障害を持っていることが一目でわかる子どももいて通学や通院に利用しているケースもあると思います。そうしたケース以外でも企業内保育所に子どもを預けるために電車通勤(通園)せざるを得ないケースもあると思います。

 

ベビーカーと関係ない話になりますが、知的障害や高次脳機能障害発達障害などを抱えている人の中には、公共交通機関に乗ることが苦手な人も結構いて、私の関わっている患者さんは電車に乗る訓練、バスに乗る訓練をします。

約束の時間に駅に、指定の場所に着けるように正しい行き先の電車に乗って、正しく乗り換えて、電車のドアが開いても降りる人が先でその後に乗って、降りない駅だとしても立ち位置によっては一度ホームに降りて、電車を降りる人に道を譲ってまた乗り込んで…。

都会の電車は本当にハードルが高いと思います。

少し、そういう判断が遅れてしまったりうまく理解できないだけで「乗るな」だの「邪魔」だのとなってしまいますが、電車にはいろんな事情の人が、いろんな理由で乗っていて、そこにベビーカーあると明らかに邪魔だよねとか、そこに立たれると後ろの人降りられないよ!とかありますが、どなったり鼻息荒くしないで普通に伝えられればいいのにと思います。

気を使いすぎて一周回って怒り倍増。だから極端な言動がネットで溢れるのかもと思ったりしました。

 

ネットの発言を見ていると、社会の成熟は一生訪れないのかと思ったりしますが、世の中にいろんな人がいること、そういういろんな人が社会の中で生きてることがネットのおかげで認知されている側面もあると思うので、人のバリエーションの豊富さをもっと噛み締めて生きていけばいいのにとつくづく思います。その噛み締めた味の中には、苦味も渋みもあるでしょうけども。

子供が嫌いな人は、どんなにマナーができていても、その人の基準に達するレベルでなければきっとベビーカーでの電車乗車が許せないでしょうし、発達や高次脳に理解がない人は、暗黙の了解で動く世の中(エレベーター片側空けとか)に付いていけない人がいた時に「邪魔」とか言っちゃうんでしょうけども。

 

でも、そういう人は世界がデコボコしていることやいろんなカラーで構成されていることを楽しめず、その挙句誰かに牙をむくのだとしたらなんだか虚しくないのかな?と思ってしまいます。

 

子育て界隈の話でもう一つ。

「我が愛息子、愛娘にワクチン打ちません」。

て人がいますが、最初に知った時はすごく驚きました。

ワクチンの副反応の怖さを理由にワクチンは一切打たないという猛者がいますが、それってどうなの?と思います。

先日、勤め先の病院で血液検査をしたのですが、風疹やはしか、水痘などの抗体がどれくらいあるかの検査もしました。

病院には色々な患者さんがいて、感染症の人もいるかもしれないし、患者さんが感染症というよりも働くスタッフが感染症に知らずにかかっていてうつしてしまうリスクもあります。

何れにしても、ワクチンのアレルギーがあるとか言った特別な理由がない限り、ちゃんとワクチンを打っておくことが病気の重篤化を防ぐ方法なので、子どもの予防接種や自分もちゃんとインフルや風疹などの予防接種をしておくことは責務だなと思います。

インフルなどは予防接種してもかかることがあるので、前の病院でも「具合が悪いのに働かないでください。それで他の人にうつったら大変なことですよ。みなさん無理しないように」となんども言われていました。

 

体調不良を押して働くのは美徳ではないし、反ワクチンも価値観とか哲学とかそんな話じゃなくて、基本的にちゃんと打ちましょう、という話だと思います。

それで接種後に体調が悪くなってしまったら、その薬に対するアレルギーがあるかどうかきちんと検査をしていくとかちゃんと治療をしていくしかないですが、アレルギーの有無も調べる前からワクチン=悪というのは違うのではないかと思います。

 

教育にしても、医療にしても、食にしても世間というものにしても、「なんとなく」良いとか悪いとか言われていて挙げ句の果てにトンデモ科学が跋扈していることが気になります。

子供が生まれてから、「母乳」「離乳食手作り」「ワクチン打たない」「電子レンジ使うな」「牛乳飲ますな」「フラッシュカードで勉強」…とあらゆる信奉者がいて、その分野の「専門家」が眉間にしわを寄せてそれをする危険性、しない危険性を語るのですがなんだかどれもこれもマユツバ。

 

文明の利器も活用して健康に安全に、そこそこ気を緩めたり時々締めたりして生きていければいいじゃんてすごく思ってしまうのです。