子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

眉間にシワ、不機嫌な顔。

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先日来、元夫に養育費(というか教育にかかる費用)の話をしたら「謝罪が先」ということで話が平行線になってしまった。

お互いに、離婚したときには「そんなつもりなかった」という部分もあったのは確かだし、私の心変わりと言われればそうなのかもしれない部分もありつつ、勝手に進路を変更したのはキミだったよねという私の気持ちもあって、ずっと平行線だった。

 

「謝罪しろ」

「どうして」

「とにかく謝れ。傷ついた人が謝ってほしいのだ。素直に謝れ」

「謝ってほしいことはわかったけどそのことは教育費と関係あるのかな」

.......

みたいなやりとりが数日に渡って、数十分繰り返されていた。ふと、鏡に映る自分の顔がとにかく怖い。

嫌そうな顔をしている。結婚していた頃の私の顔。顔が歪んでいる。すごく怖い顔だ。

明らかに嫌そうだねっていう顔。こんな怖い私、久しぶりに見た。

電話越しでもこんなに嫌な顔しちゃうんだから結婚してた当時の私の顔ときたらどんだけ般若だったんだろうか。

 

まだ教育費の取り決めはできていないけど、ようやく鬼電は一旦おさまった。

離婚してずいぶん時間は経ったけど彼の私に対するものの言い方って全然変わってなくて相変わらず横柄というかすごく押さえつける感じで、息苦しかった。電話がおさまっただけでも穏やかに過ごせる。

年を取ったときの私は...

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日々、高齢者の方と接することの多い今、自ずと「自分が80代になったら」など考えてしまう。

認知症になったら、もしそれが進んだら...など考えて、私はリハビリしたくないって布団をかぶるのだろうか、勝手に動くと言われてベッドに縛られるのだろうか。

家に帰りたいというのを「わがまま」と言われてしまうのだろうか。

そうして子どもたちに迷惑をかけてしまうのだろうか。

自分がうんと年を取った時にどんな姿になっているのだろうか。

ちょっとした隙間の時間にそんなことを考えてしまう。

 

前々から再三書いているけど、将来の夢は東京タワーの見えるマンションに住むこと。なるべく廊下は内廊下がいい。

足が痛くても、腰が痛くてもなるべくマンションでのんびりと生活したい。というか東京タワーを夜な夜な眺めていたい。

だけどトイレを失敗したり、それが自分でうまく対応できなかったり、判断能力が著しく衰えると一人で住むのはだめっていう日が来るのだろうな。

そんななったら私はどこに住むんだろう。施設に入ることは人生の終わりではないけど、人生の節目になることは絶対確かだよなぁ。

 

昨年の4月から今までの一年を振り返ると「こんなに大変なのに」という人を何人かご自宅に退院する支援をした。

家に帰ること自体はゴールでもなんでもなく、帰れれば良くて施設が良くないということもない。

だけど、家族の支援もあって、すごく介護が重くても家に帰れたということは、本人にとって少しホッとしたのではないかと思ったりもする。二人ほどは自分での意識のない人だったけれど、それでも空気が違うだろうから。病院と家とでは。

 

私は自分の体が動かなくなった時にどんな生活を希望するかな。

社会は何か変化しているのだろうか。

そんなことをとりとめもなく考えてしまう。まずは自分の親が先だけど、もしも親が具合悪くなった時に、もう子育てが一段落しているのであればなるべく面倒をみていきたいと思う。

それは、親が作り上げた家庭とか環境を守りたいっていう気持ちも強くあるから。生活習慣であったり、好みであったり。多分だいたいわかるから、誰かにお願いすると我慢しなくちゃいけないことも、きっと私に対しては我慢しないで言ってくれるだろうし、わかることが多いだろう。

 

そんなことを思うと、やっぱり離婚してよかった。

一人で生きる、過ごすってことでできることもきっとたくさんある。