子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。どうせなら人に役立つことも書ければと思います。

ほんの感想「坂の途中の家」

 ここ最近読んだ中で、ものすごく心に刺さった本の感想を。

坂の途中の家

坂の途中の家

 

 どこにでもいる専業主婦がある日、裁判員に選ばれて…。そんなことからストーリーが展開し、家庭の中の会話や夫婦、家族の人間模様を丹念に描いた小説です。

「そんなことも知らないの?」

「それって常識でしょう」

そういう会話が相手を傷つけて自信を失くさせて、だれかの人生を狂わすという話がずっと心に残りました。

私もそんな意図は全くなくて、そういう会話を夫としたことがあり、夫には随分と怒られたものです。

次に会ったら、謝らないといけないと反省をしました。

同時に、夫からも同じように言われて無力感に襲われたり夫を怖く思ったこともあり、私たちは傷つけ合っていたんだろうなと気がつきました。

 

親子の間においてもこういう言葉は気をつけないといけないし、親切で言ったつもりの提案、アドバイス、言葉が相手をさらに追い詰めたり、もう二度と、誰とも関わりたくないと思わせることもあり、それはいまの仕事で誰かの相談に乗る時にももちろんで。

反応、表情、言葉一つで誰かの心を殺すことも生かすこともできる。それがコミュニケーションだし、コミュニケーション能力が高いとか低いとか言いますが、本当に高い人はそう多くないのだろうと思います。

でも、そういうことに敏感でありたいと思ったし、自分はどうか、これで良かったのか、と省みることが大切だなとつくづく思いました。

 

現実社会では子供への虐待や虐待なのかとビクビクしながら子育てしてる人はたくさんいると思います。

小説の中に出てくる、あんなシーン、こんなシーン(子供が泣いていても無視して家事を続ける、泣き止まない赤ちゃんにイライラを募らせる)は自分にも日常的に思い当たることばかりで、胸につまされました。

自分の行為は子供の心を傷つけたり、悲しませたりしているのだろうと思うことも、一度ならずあり、ダメなお母さんだなと嫌になります。

嫌になるけども、悩み込まずにいられるのは、なぜだろう。

こんな出来損ないの母でも、娘のことも息子のことも可愛くて大好きで、それだけは妊娠してから一度も変わらないからかな、それ以外の理由があるのかな、と考えてつつわからないままです。

何もかもわからなくても、子どもを大事に思い続けて悪いことをしたら謝って子どもと向き合う中にしか、答えがないような気もしています。

 

息子の誕生日や娘のこと。

先日、2歳の誕生日を迎えた息子。息子の記憶に残るのだろうか、残らないのだろうかと思いながら、大好きなピザとチーズケーキでお祝い。

イタリアンな息子で、カマンベールチーズもゴーダチーズも「チーズ」なら大好き。ピザも大好き。

毎日、「ママ〜、大っ嫌い」とニコニコ言って私の反応を楽しみ、「牛乳お代わりくださぁい」って元気よく話しかけてくれて。

こういう感じがずっとずっと続いても良いよと思うほどに可愛い。

大きくなる楽しみよりも切なさが勝る感じ。

「この素晴らしい 煩わしい気持ちを 真空パックしておけないもんかな」ってミスチルのDrawingにあったけど、そんな気持ちです。

今この瞬間、瞬間を閉じ込めておきたいくらいに幸せな気持ちを味わう日々。

 

娘が息子と同じ2歳だった時はどうだったろうか、と思って振り返ることが最近よくありますが、ちょうど娘が2歳の時に職場が閉鎖となって転職を余儀なくされ、1ヶ月後に大手IT企業の契約社員になりました。

大手ゆえに求められるスキル・レベルも高くてものすごく仕事に邁進した一方で、娘とちゃんと向き合えていなかったというか、過ごす時間が圧倒的に少なかったです。

一緒に夕飯なんて週末のみ、朝から終電まで働いて土曜もスクーリングやらレポートやらで。

それ以外にも、毎日夫との確執がプレッシャーで「また怒られるかも」「どう言ったらわかってくれるだろうか」「また逆鱗に触れてしまった」そういう葛藤でいっぱいだったなとおもいます。

 

本当に娘には申し訳ないことをしていたと思い、反省ばかり。

一人目は子育ての実験台と誰かが言ってましたが、実験というかは、私の気持ちが夫とのコミュニケーションをいかに円滑にするかに腐心していたので子育てとも違うもがきがあったなとおもいます。

今は、二人で一人を育てる物理的大変さはあるけども、精神的安定やゆとりは大きくてそれゆえにこの幸福感があるんだろうなと思うこの頃です。