子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。どうせなら人に役立つことも書ければと思います。

小学校生活に備えて学童について考えた

この間、保育園に預けたと思ったら、もう小学校。時の流れは早いものです。

娘は8ヶ月で保育園に通い始めましたが、4/1に初めて登園し、私は約10ヶ月ぶりの出社でした。芝近くで働いていて、芝公園の桜が見事に咲いていて、東京タワーは相変わらず美しくて「帰ってきたな」と思ったのを今でも鮮明に覚えています。

 

時は流れて渋谷で働いたりもしたけど、今となっては地元近辺でゆるゆると働いています。

いくら家と職場がすごく近いからといって、午後2時3時に帰れるわけではもちろんなく、保育園と違うからずっと預けることもできないです。

じゃあ、やっぱり学校の後は学童かな...と思ったのですが、保育園のママ友さんからちょっと不安な情報も。

 

学童クラブに上のお子さんを預けていたけど、子どもがある時からすごく嫌がって行きたがらなくなったと。

その理由を本人に聞くと、「あの子にはこの遊びはさせない。貸さない」といった仲間はずれの姿を見てしまい、自分がされたわけではないけど、すごく嫌な思いをしてしまったとか。

 

保育園ならそういうことはまずあり得ないというか、そういうことをしていたら先生が介入するし、対応してくれる大人がいますが、小学校となると、学童のスタッフも目が届かないし、無資格で働いている方もいらっしゃるだろうし。

そういうスタッフに子どもの人間関係を調整することまでは期待しづらいというか。基本的には管理運営がお仕事だと思うと、子どもの育ちを見守り、支える保育士とはまたきっと違うのだろうと想像します。

 

なんて考えていたら、学童に通わせるのが嫌だなと思い始めてしまい、基本的には習い事をさせるかお友達と帰るようにしたいなと思いました。

うちの学区だと夕方7時ごろまでは預かってもらえるのですが、遅い時間にお迎えに行ける自信もなく…。

ちょっと忙しいと7時半ごろにお迎えなんてこともあり、息子のお迎えもして娘も(しかも時間を超過)なって無理だろうと思うし、いろいろ考えると明るいうちに帰ってきておばあちゃんちで待っててくれるといいなと思います。

 

娘の性格を考えても、知らない友達、知らない先生との出会いや勉強や宿題のある生活ってかなりのストレスではないかと思います。

奇跡的にちゃれんじが性に合ってるようで、毎月粛々とちゃれんじはやっていますが(それでも忙しくて毎週末はできないから1ヶ月遅れ)、それ以外にも日々の宿題とかあるとそれだけでストレスだろうと思います。

 

人と比べられてしまうのも苦手だから勉強系の習い事も性に合わなさそうだし...。

娘の慎重さ、几帳面さ、線の細さ(心理的に)を考えるとますます合わなさそう。

 

保育園の先生との面談を秋頃した時に、「何か心配なことはありますか?」と聞かれて、保育園を卒園した後、すごく心配です。

と言いましたが、本当、ソーシャルワーカーとかケアマネみたいに相談できる人がいると絶対いいのにと思います。

児童福祉のソーシャルワーカーになりたいなぁと思っていますが、要支援・要保護児童だけじゃなくて全家庭介入でワーカーがいてもいいんじゃない?って思うほどです。

 

別に普段から介入しなくても、子育てにはどこかで何かにぶつかる時が来るから。

子どもを産むのは親のエゴか。

先日、とあるツイートを見ました。

 確かにね。

そういう風に思う子どももいるよなぁ、学生時代そういう人が周りの周りくらいにはいたかもしれない、と思いました。

 

親になった今、全部を想定しているし、なんなら自分の子どもが加害者(いじめたり事故に合わせちゃう)ということも含めて想定して、日々この子たちとどういう関係を築いていこうか、生きていこうかと考えています。

 

自信の有無や全部クリアとか一部failureとかそういう話じゃないというか。

人が生きてる限り悩みはつきまとうとし、全部なくても違う次元の悩みを持つ人はいます。私など多分、入試でちょっと苦労したけど第一志望校に入ったし、就職も第一志望の出版社で働いて第一志望の編集職で勤めてたし、今の国家資格もとってそれで働いてるしすごく恵まれてると思います。

試験に落ちることはもちろん学生時代に経験してるけど、それで体や心を壊したこともあるけど、親は関係ないし(親のせいでは絶対ない)私の右往左往に親はキレたりムカついたりしながらも、子どもとして(親子の子)扱ってくれたし。

 

なんて思うけど、じゃあ私に悩みがないかというと老後のこともこのまま健康でるのかということも、なんなら今日、早退してきた娘が感染症じゃありませんように!!とか日々悩みや心配は尽きないわけです。

 

でも、それを持って「子どもなんて産むものじゃない」というぺシミスティックな考えは持たないです。

だってさ、この人がここで書いていらっしゃる一つ一つって日常の中に「あること」なんですよ。

言葉にすると大それて見えるけど、日々の勉強の延長に試験があるし、日々の営みの先に仕事、就職があるし、それがうまくいってもいかなくても人はなんらかの形で生きていくし、子どもがそれを背負うことが幸か不幸かなんて、個人個人で受け止めは違うから「親は」とか「子どもは」なんて大きな主語でくくれる話しじゃないと思います。

 

多くの場合、親との関係がこじれてる時に「絶対子どもなんて生まない」とかいう人がいますが、それはそれでいいんじゃないと思います。親と最良の関係で、「絶対生まない」でもそれもいいと思うし。

でも、生まないことを良しとしている人が、子どもを産む人にいちゃもんつけるのってなんだろう?と思いました。

 

その上で、なんで人は子どもを産むのだろうと思ったら、少なくとも私から子どもに向かうベクトルには愛情が一番強くあって、生まれてきた子どもは本当に可愛くて大切で目に入れても痛くないってこれねと思いました。今もね。

そしてまた、子どもも少なくとも現段階でとても私に対して慕ってくれるというか信頼してくれることを感じます。

家族ってお互いに愛情を注ぎながら関係を育んでいくのだと思います。

人間にとってそういう関係を築ける相手が必要だから、人は家族を持つのだと思います。

今の時代は、というかいつの時代もそういう関係を持てない環境で育つ人もいるし、家族がいても愛情関係のない家庭もあるのは確か。だけど、そこには何か不全感があるというか、いつも穴埋めを探してしまうような気がします。

 

その穴埋めに代用されるのが人か、ものか、お金か、学問か地位か名誉かは人それぞれですが。

親のエゴだよ、ということをいうとしたら、それは自分の親に向かっていう話なんだろうと思いました。

そしてそう言われることくらい、子どもを産んだ時から想定済みでもあり...。

ただ、何を言おうと何をしようと、子どもはやっぱり子どもで責任もあるし可愛いし、大事な存在。

このうたを思い出さずにはいられなかった。


Mr.Children「タガタメ」from Stadium Tour 2015 未完