子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

ずっと続くベビーカー論争、子育て界隈の話題。

娘が生まれた約6年前も、そのずっと前も、そして今も不毛に続く公共交通機関におけるベビーカー論争。

 

 

こんな意見や

 こんな意見も

 私の場合は、上の娘が一人だった時は抱っこ紐での移動がメインでした。その方が自分も楽だし、雨風を気にせず移動できて良かったからです。

下の子を妊娠してから娘3歳で重いし妊娠中に重いものを長時間抱えるリスクもあったのでベビーカーを活用。

息子が生まれてから出かける時は娘は徒歩、息子はベビーカーです。2歳〜3歳っていうことが聞けないお年頃なので、出かける道中に事故のリスクが潜んでいます。

息子は重すぎて抱っこもおんぶも辛いし、なんなら眠くなった娘の抱っこも控えていて割と度々、娘を抱っこしながら片手でベビーカーを押しています。

我ながら力持ち&ハンドル捌き秀逸、と励ましながら。

 

舌打ちされたことも、蹴られたことも、邪魔と言われたこともないですが、きっとそう思っている人はいるだろうと思いながら移動しています。ネット見ると世の中の悪意ってものすごくいっぱいあるから。

 

電車通勤をしていると、時々赤ちゃん連れや子ども連れの親を見かけます。そんな時に電車で毒づく人を見たことはないのですが、子どもの中には障害を持っていることが一目でわかる子どももいて通学や通院に利用しているケースもあると思います。そうしたケース以外でも企業内保育所に子どもを預けるために電車通勤(通園)せざるを得ないケースもあると思います。

 

ベビーカーと関係ない話になりますが、知的障害や高次脳機能障害発達障害などを抱えている人の中には、公共交通機関に乗ることが苦手な人も結構いて、私の関わっている患者さんは電車に乗る訓練、バスに乗る訓練をします。

約束の時間に駅に、指定の場所に着けるように正しい行き先の電車に乗って、正しく乗り換えて、電車のドアが開いても降りる人が先でその後に乗って、降りない駅だとしても立ち位置によっては一度ホームに降りて、電車を降りる人に道を譲ってまた乗り込んで…。

都会の電車は本当にハードルが高いと思います。

少し、そういう判断が遅れてしまったりうまく理解できないだけで「乗るな」だの「邪魔」だのとなってしまいますが、電車にはいろんな事情の人が、いろんな理由で乗っていて、そこにベビーカーあると明らかに邪魔だよねとか、そこに立たれると後ろの人降りられないよ!とかありますが、どなったり鼻息荒くしないで普通に伝えられればいいのにと思います。

気を使いすぎて一周回って怒り倍増。だから極端な言動がネットで溢れるのかもと思ったりしました。

 

ネットの発言を見ていると、社会の成熟は一生訪れないのかと思ったりしますが、世の中にいろんな人がいること、そういういろんな人が社会の中で生きてることがネットのおかげで認知されている側面もあると思うので、人のバリエーションの豊富さをもっと噛み締めて生きていけばいいのにとつくづく思います。その噛み締めた味の中には、苦味も渋みもあるでしょうけども。

子供が嫌いな人は、どんなにマナーができていても、その人の基準に達するレベルでなければきっとベビーカーでの電車乗車が許せないでしょうし、発達や高次脳に理解がない人は、暗黙の了解で動く世の中(エレベーター片側空けとか)に付いていけない人がいた時に「邪魔」とか言っちゃうんでしょうけども。

 

でも、そういう人は世界がデコボコしていることやいろんなカラーで構成されていることを楽しめず、その挙句誰かに牙をむくのだとしたらなんだか虚しくないのかな?と思ってしまいます。

 

子育て界隈の話でもう一つ。

「我が愛息子、愛娘にワクチン打ちません」。

て人がいますが、最初に知った時はすごく驚きました。

ワクチンの副反応の怖さを理由にワクチンは一切打たないという猛者がいますが、それってどうなの?と思います。

先日、勤め先の病院で血液検査をしたのですが、風疹やはしか、水痘などの抗体がどれくらいあるかの検査もしました。

病院には色々な患者さんがいて、感染症の人もいるかもしれないし、患者さんが感染症というよりも働くスタッフが感染症に知らずにかかっていてうつしてしまうリスクもあります。

何れにしても、ワクチンのアレルギーがあるとか言った特別な理由がない限り、ちゃんとワクチンを打っておくことが病気の重篤化を防ぐ方法なので、子どもの予防接種や自分もちゃんとインフルや風疹などの予防接種をしておくことは責務だなと思います。

インフルなどは予防接種してもかかることがあるので、前の病院でも「具合が悪いのに働かないでください。それで他の人にうつったら大変なことですよ。みなさん無理しないように」となんども言われていました。

 

体調不良を押して働くのは美徳ではないし、反ワクチンも価値観とか哲学とかそんな話じゃなくて、基本的にちゃんと打ちましょう、という話だと思います。

それで接種後に体調が悪くなってしまったら、その薬に対するアレルギーがあるかどうかきちんと検査をしていくとかちゃんと治療をしていくしかないですが、アレルギーの有無も調べる前からワクチン=悪というのは違うのではないかと思います。

 

教育にしても、医療にしても、食にしても世間というものにしても、「なんとなく」良いとか悪いとか言われていて挙げ句の果てにトンデモ科学が跋扈していることが気になります。

子供が生まれてから、「母乳」「離乳食手作り」「ワクチン打たない」「電子レンジ使うな」「牛乳飲ますな」「フラッシュカードで勉強」…とあらゆる信奉者がいて、その分野の「専門家」が眉間にしわを寄せてそれをする危険性、しない危険性を語るのですがなんだかどれもこれもマユツバ。

 

文明の利器も活用して健康に安全に、そこそこ気を緩めたり時々締めたりして生きていければいいじゃんてすごく思ってしまうのです。

 

 

 

 

 

「子どもが嫌い」を考察する

友人は大の子ども嫌い。子どもを見るだけで不愉快な気持ちがして、同僚が子どもの話題で盛り上がっているとハラスメントに感じると言います。

会社のイベントなどで子ども込みでの参加を提案してきた同僚には「殺意」すら覚えたとのこと。過去、一緒に働いていた時に、「ファミリーデー」があり、うちは連れて行かなかったのですが、同僚は連れてきていました。

まさか心の中で憎しみを深めていたとは。

 

一方で彼女はこうも言います。「元カレの子どもならほしい。彼の子どもは産みたかった」と。

子どもが嫌いでも好きでも、それは人それぞれだと思うのですが、子どもの話題も含めて相手を呪いたくなるほど憎むというのは、また少し違う(好みの範疇とは言えない)気がします。

彼女の心の中で何が起きているのか、話から推察するしかないのですが、本人なりの分析を含めて考えると、小さい頃からの親との関係に理由がありそうです。

 

小さい頃から私立小学校に通っていてテストの点数が良くないと認められず、頭は非常に良かったようですが、それでもさらに上を上をと求められ、少しでも親の気にくわないこと(高校生でお化粧した、ティーンズ向けファッション誌を持っていたなど)があると背中や腰、太ももなどをベルトで殴られていたそうです。

 

それに親との何気ない会話が気にくわないと、買い物先でも罵られたり。一度などは出先で置いていかれたそうです。

 

そう言う日々はなんと苦痛だっただろう。

なんと悲しかっただろう。

寂しかっただろう。

彼女の子ども時代を少し想像するだけで私も胸が痛くなり、切なくなり、今目の前で踏ん張って生きている彼女に「よく頑張ってきたね」と心から思います。

 

「子育てなんて好みでしょ」と言われて「それは違う」と思いながらもうまく反応できずに聴いていましたが、子どもを自分好みに仕立て上げて「一生子どもは親の従属物」と言い切る親を見てきた彼女にとっては、子育ては嗜好品の一つくらいに思えるのかもしれません。

 

「そんな親なら縁を切ってしまえばいいのに」。そう思うことはとても簡単で、別れた夫も虐待を受けて育っていたのでそう思うことがよくありました。でも、親から否定されればされるほど、「認めてほしい」と言う切実な気持ちが強いことを感じます。

離婚の一つの原因となったのが夫の進路でしたが、親の願う職業に親の願い通りの形でなることを彼は選び、今は親からも認めてもらえているようです。

「条件付きの愛情なんて。そこまでして認められたいのかな」と思わなくもないですが、どんな形でも、どんなに小さくても子どもにとって親から受けるものは100%とも言える威力があります。

だからこそ、彼女は今も親から受けた影響に苦しんでいるし、自分の親の持つ価値観を捨てきれないのだろうと思います。

 

子ども時代、幸せじゃなかった人にとって子どもの存在や子どもと関わることを強要される環境はやはり苦痛でしかないこともあるのだろうと思います。きっと、そういう苦しさはその人なりのペースで上手く付き合って行ったり乗り越えていくステップがあるのだと思いますが、そこに正解はないし、話を聞くくらいしかできないなと思います。

ただ、友達として話を聞いているのでどうしても「私の考え」や「価値観」が自分の中に強く出てくることがあり、仕事だったらもう少しゆっくり気持ちを聞けるかもしれないのに、と思います。

 

そういう意味では「人の話を聴く」ことは、その人とどういう関係性の中(立場)で話を聴いているのかが聴く側にとっても、話す側にとってもキーとなる気がします。