子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

0歳が6歳になるということ

娘の保育園生活最後の発表会が無事に終わりました。熱で行けない年や泣いて先生にしがみついた年もありました。

昨年も今年も無事に発表できて、最後はみんな元気よく歌も歌って。

多くの親御さんの胸を熱くしていました。

私も御多分に漏れずとても胸が熱くなりました。

 

0歳児の時は立った、歩いた、食べたと言った一つ一つの動作に拍手!という感じでしたが、2歳、3歳と友達との関係や保育者との関係の中で娘が安心したりぶつかったりという中で自分をどう出していくか?という日々だったと思います。

 

4歳、5歳になると少しお姉さんになって、下の子の面倒をみるとか弟がうまえて自分も甘えたくて...の葛藤の日々だったような。

保育園でも家でも年相応の「できること」が求められますが、きっと娘本人にとっては、家ではもっと緩くいたいとか、弟が抱っこされてることがずるいとか、そういう感じで突き飛ばしたり足をつねったり...それで私に怒られるようなことがありました。

今も、息子を抱っこしたりおんぶすると少し寂しそうです。

昨日も、近所のお姉さんと家のすぐ前の公園で遊んでいて、私と息子が先に帰るよ、と言ってもまだ遊びたい!と遊んでいたのですが、30分ほどして帰ってくると泣き腫らしていて、急に寂しくなってしまった。ママと帰りたかった、と嗚咽。

 

もっとママに甘えたいし、ママにやってもらいたいし、ママといたい!!という気持ちが全開の6歳ですが、それでも食事をしっかり食べたり、ちゃんと寝たり、生活習慣は私以上に丁寧にしっかりと身についているようで、すでに私を抜いているなぁ、すごいなと思うところもたくさんあります。

 

0歳から6歳ってたった6年ですが、歩けなかった子が、食べられなかった子が大人と同じような硬さのものを食べられるようになって、世界には家族以外にも友達や身近な大人がいて、怖い人もいるしやさしい人もいるし、私たちの話す言葉は文字として読むことができるとか、本当に原初的なことに出会う日々です。

この時期の成長ってやっぱり人生で一番大きく変化する時期なんだろうなと思うと、大事にしたいなと思います。

 

昨日の嗚咽を受け止め、進学がちょっぴり不安でもあります。

学童利用をして私がお迎えに行く方がいいのか、祖母宅に早く帰宅させた方がいいのか、悩ましいところです。

 

突然のお別れ。

ブログを全然更新してないであっという間に今年が終わってしまいそうです。

娘はあと4ヶ月ほどで保育園卒園。そしたら一年生。

0歳児クラスだったのがつい昨日のことのよう。

怒涛の6年でしたが、保育園が唯一安定していました。

 

0歳児から一緒に育ったお友達8人のうち、6人が今も同じクラスなので幼なじみといってもいいと思いますが、その中の一人が突然引っ越すことに。

月齢も近くて毎日「いて当たり前」だった友達がいなくなることに、子ども以上に親の私がダメージ。

 

一緒に卒園できると思い込んでたし、同じ小学校に行くものと思っていました。当たり前ってないんだなとしみじみ思うし、一日一日を大切にしたいなと思います。よく言われることですが、お礼や謝罪はその日のうちに。

これ、本当にそうだなと思います。

 

毎日、遊んでくれてありがとうって気持ちでいっぱいです。

娘は一人で6歳になったわけでなく、親の私だけが子育てをしてきたわけでもなく、保育園という空間で保育者や調理師さんなどたくさんの職員の方やお友達との関わりの中でここまで育ったんだなということを改めて思います。

 

そしてそんな風に育てられることにすごく感謝しています。

朝の準備がグズグズで怒ることもしょっちゅうですが、保育園ではまた違う子どもの世界があって、私も私で仕事の世界があって。

これからもいくつもの「居場所」を持って生きていってほしいなと思います。

 

学校も習い事もそれ以外のコミュニティも...。

自分自身はちいさい頃、そうした居場所を見つけることがあまり得意ではなかったし、どちらかというと卑屈なところもあったのですが、肯定される(され続ける)環境に出会ったおかげですっかりまっすぐな性格になった気がします。

まだまだうがった見方をしてしまうことはあるけれど。

 

娘と一緒に遊んでくれた友達が転居先でも友達と素敵な時間を過ごしていくんだろうなと思うと、それもまたいいよね、と思ったり。寂しい気持ちはまだ濃いですが、良い思い出をたくさん残してくれたことは娘にとっても宝物だったと思います。