当然のことだけど世の中には本当にいろんな人がいる。
高校から大学に行ったときに、ずいぶん色んな人が世の中にはいるもんだなァなんて思ったけど、甘い。
社会に出たら信じられない人がいた。仕事中に目の前で鼻をほじる人とか、なだれを起こすデスクで働いてる人とか、職場にそもそも住んでいる人とか(そして私も明け方5時までこもったことがある)。
今の仕事をしていると、またさらにいろんな人に出会うし、いろんな価値観に触れるのだけど「仕事として」それに触れるのと、無防備な個人がその情報や人に触れるのとはダメージと言うか受け止める衝撃に差がある。
仕事だと「仕事だから」と思えるけど、普段の個人として想像の斜め上を行く人に出会うとどう理解したら良いのか...と気が遠くなる。
そもそも「オリンピックを東京で」という事自体に「お金の無駄」と思っていたので、どこかさめてしまっている自分がいて、パラなら子どもと見に行きたい。いい機会かなと思ったものの、結局当選の知らせに気づかず、お金を払いそこねてしまったので、行く予定はオリパラともなかった。
式典にかかわるスタッフのことで騒がしい。
佐々木氏の渡辺直美さんに対する失礼な発言、チーム内での他スタッフへのひどい発言。
小山田氏のこと、のぶみのこと、小林氏のこと...。
どれもこれもが、「(私の中の一般常識として)それはやらないでしょう、言わないでしょう」と思うことばかりで、正直これらのことに一定の理解を示す人の思考があまり理解できなかったりする。
弱い者いじめをすることや、人の容姿を揶揄すること、多くの痛みと死をもたらした行為を笑いにするなど個人的には全く理解できない。
そういうのって、高校生くらいまでには「だめなこと」として認識されると思っていた。
深い思いもなく、本当に軽いノリで言ったりやったりしたことなのかもしれないけれど、それってどういう影響を与えるのかという想像力はやっぱり欠如していたのだろうと思うし、いま子どもを育てていて子ども同士で時々、悪ふざけが過ぎてバランスを欠くことがある。
「あなただけがおもしろくても何の意味もない。一緒に遊ぶお姉ちゃん(弟)も、ママも嫌な気持ちにならずに過ごせるようにしようよ。人はそれをどう受け止めているかっていうことも大事だよ」と伝えている。
人の顔色を見て生きろということではなく、自分の発言や行動が及ぼす影響にも思いを馳せてほしい。そう思っての躾というか話。
歴史を学んだら、ナチスのことも日本の侵略の歴史も、目をそらさずに真剣に考えるべきテーマであること、笑えないことはわかるでしょう、って思っていた。
だけどもしかしたらもっとそれ以前に自分の言葉、行為が与える影響とは...というのを日々の生活の中で自分自身が繰り返し失敗もしながら考え続けていないと、身につかないのかもという気がしている。
問題に対して「それは問題だよ」ということはすごく大事。だけど少なくとも公教育の中でそうした問題をどこがどう問題なのか深堀りして話し合う機会って多くなかった。本当は家庭でも学校でも、問題との向き合い方を学べたらいいのにと思う。
まあ、小山田氏のそれはちょっと質が違う。
個人的には、小林氏の発言て本当にただただ無知で浅はかだったのだろうなと思うけど、なんか小山田氏は話してわかるとか理解を深めるとかそういう次元じゃないなと思う。
今回の五輪が、日本がろくでもない国であることを競って証明する大会だったっけ?とすら思えてくる。そもそもそこまで楽しみでもなかった上に、ただただ陰鬱としてしまうなにかになってしまった。