前も書いたかもしれないですが、「働きながら子育てしてて偉いよね」といわれることがあります。実際に家で子育てしている人が言う時、娘を見る目は同情に満ちていて、言外に「偉いとは思うけど、こどもかわいそう」がひしひし伝わります。
独身の人にいわれる時とは違う重みがあるというか。
で、別に偉くもないし大変なのは専業主婦も同じなわけで、「そんなことないと思う」と返事するのですが、このやりとりって毎回不毛だと思います。
で、会うとだいたい挨拶代わりにこのやり取りをする友人がいるのですが、数ヶ月前にFacebookで子育てに悲鳴をあげていて、最近どうしてるかなと思ったら
「一時保育利用とかも考えたけど、この時期は今しかない。自分がやりたいことはあとでできるけど、授かった子はオンリーワン」
みたいなことが書いてあって、さらに
「幼少期にいっぱいパパママと過ごして愛情もらってき子どもたちの安定さを見ててびっくり。励まされわー」
みたいなのがあって、「いいね!」って付けてる人がみんな家で子育てしている人たちばかり。
立て続けに「家で子どもを育てる=愛情いっぱい=いい子、幸せ」という書き込みを読むことがあって、同じように子どもがいて、同じような子どもへの悩みがあって、喜びがあるのにこんなにも感じること、思うこと、みえている世界が違うのかぁと思いました。
世間一般のメディアでも女性の社会進出、女性労働者のM字カーブ脱却とかずっと言われていてことあるごとに「ハタラクママ」が取り上げられるので、専業主婦の肩身は狭いのかななんて思います。
でも、これってそうでもなくて実は、専業主婦で見ているメディアが全然違うのではないかと私は仮説を立てています(っていうか勝手に立てたいです)。
というのも、平日フラッとテレビを付けると、朝の情報番組とかで子どもが事件に巻き込まれると「親はどうしてたんでしょうね」とか物知り顔でいうコメンテータがいて、乗っかる輩がいて、やいのやいのと丁々発止です。
同じニュースが報道ステーションで扱われると、「こういった事故が起きるって構造的に改善できないものなんでしょうかねぇ」という話になっていきます。
昼間の番組を観ている人向けの語りだからか、「子ども=親(しかも母親)と一緒」というステレオタイプの下で話が進み、夜の番組では、社会の中でそういう問題をどう解決できるかという話になっています。
もちろん専業主婦だって夜の番組を観ていると思いますが、働いている人が会社で同僚やネット、新聞、中づりなどから得る情報と主婦が得る情報には結構な開きがあるのかもしれないなと思いました。
家で子育てをしている友人の価値観は否定しないですが、ただ一つ、「それは違うんだ」と言いたいのは、「自分がやりたいことはあとでできる」という言葉です。
ピアニストが1日ピアノに触れないと取り返すのに3日かかると言うように、仕事も日進月歩で変化する中で、たかが3年でも5年でも取り戻せないし、取り返しのつくことならやってもやらなくても同じってことだね、と思います。
たとえば今の年齢で転職するならまだチャンスがあるけど私の5年後はリアルに超厳しいです。
社会がもっと寛容になればいい、といえばそれまでですが、そんなふうにキャリアにあまあまで「そうねそうね、子育てしてたんだもんね、10年、現役はなれちゃうよね」っていう人をまともに雇ってくれる社会になったらおそらくものすごい経済不況です。
だったら子育てと仕事両方やる人も、そうじゃない選択をする人も「子どもはまともに育つから」ってことをちゃんと言っていかないと見てる景色の違いがいつの間にか相互批判になりそうです。
家で子育てしてるから子どもは安定する、外で両親が働いてるとそうはいかない、という図式もないはずだし、まあそもそも家で子育てができる、働かなくていい、というのは夫がかなりきちんと稼ぎ、かつ離婚、死別の一抹の不安もない場合に可能なのか?と思います。
仕事する=経済的理由ではなく、人によっては夫と関係なく私は私の人生を完結したく、夫が社会で働いてるのとは別に私も社会で働きたいというケースもありますが、少なくとも働かずに家で子育てという選択肢があるのは、それは経済的に裕福だからだ、と思います。
それに、子育ての手が離れるのって何年かかるだろう。しつこく書いてますが、子どものニーズは無限にあり、幼少、児童、思春期、どの時代も目も心も離せない時期です。
子育て10年、10歳だから10年ぶりに仕事に戻ります、出張も残業もできます、というわけにもいかないし、何よりもブランクがあるから、よほどの特殊スキルがあるとかでない限り難しそう。
ま、子どもを家で育てようが保育園に預けて働こうが、特別えらくもなく、特別ひどくもなく、それぞれのチョイス。それぞれの子にその育ちがあるんじゃないか?
ふとそう思いました。