子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

お別れの時期、悲喜こもごも

保育園の先生方と、とうとうお別れの季節です。

一年に一度。娘があと1年で卒園ということもあり、5年を振り返るとそれなりに先生との思い出も詰まっています。それなりっていうか、相当に。

 

今、息子の担任で本当に厳しくて怖くて、だけど的確な先生がいますが、その先生ももう定年とのこと。

話し始めると泣きそう。

娘が0歳の時の担任でもあり0、1歳の息子の担任もしてくださって。

 

「こっちだって仕事してるし精一杯やってるんだよ」と反発を覚えたこともあるし、37.3で呼び出さんでよ!って思ったこともありました。

でも、先生の本当の気持ちも知ってるし、そこはグッと飲み込んで。それに、先生も厳しい一辺倒じゃなくて、「いいわよいいわよ」って大目に見てくれる日もあって。

人間味のある、そんなベテラン保育士さんでした。

 

そんな保育士さんがまた一人、定年まで勤め上げて保育の現場を去っていきます。

子供の保育園を私はすごく良いと思っているのですが、その一つがこの「層の厚さ」。

 

幼稚園にしろ、保育園にしろ、「ママ目線で」とか「若い、体力のある躍動感で」と言ったことだけでは務まらない仕事だと思います。

積み重ねた経験、そこから出てくる根拠のある保育実践。時間をかけて紆余曲折を経ながらも子供を愛する心。

そんなベテランの先生方もいてくださって、若い保育士さんたちが育つのだと思います。

 

大好きな先生がまた一人、去ってしまう寂しさでいっぱい。

そして、来年、娘にとって最後の保育園ですが、担任の先生はちょっと苦手だなぁと思う先生。

「男は女と結婚するもの」「子供にはパパとママがいるもの」と教えてくれる先生で、それ自体が間違ってるとは思わないものの、そうじゃない姿、かたちも現代にはあって、「こうであらねば」を教えているようで、ちょっとな〜なんて思っていて。

二人体制なのですが、もう一人の信頼してた先生は他のクラスに行ってしまったし、ちょっと残念。

二人体制の二人とも、苦手だったので.....。

 

でも、息子の担任は一番好きな、本当に尊敬する先生が担任になり、今から楽しみです。

その先生がある日、言っていたことを思い出します。

 

子どもの悲しさ、嬉しさ、ワクワク、嫌だ…いろんな気持ちを丸ごと受け止めてもらって、安心できる大人の人と一緒に遊んだり、ご飯を食べたり、ゴロンとしたり。そうするうちにいろいろなことへのやる気が湧いてきます。大人や保育士の関わり方で子どもの感情、心理、精神面も変わります。成長した時、自分が自分のことを好きと思えること、周りの人たちも大切に思えること、そうなってほしいと思います。

 

私は娘や息子にそういう関わりをしていただろうかと我が身を振り返ったし、とにかく「一緒に過ごす日常を蔑ろにしない」ということを肝に銘じました。

素敵な先生たちがいるからこそ、日々の生活が送れていることを改めて感謝しました。

保育園の先生方、たくさんの愛情を本当にありがとうございます!と去っていく先生方や残る先生方に伝えたいです。

 

離婚した後、子どもたちの心は?

朝からとても気になる記事があり、ようやくさっき読むことができました。

 

www.asahi.com

 登録しないとネットじゃ読めない仕様なのでなんとも悶々としていましたが、ようやくさっき読みました。前半、というかタイトルでは悶々としたのですが、内容を読んだらとても素直に頷けるものでした。

 

息子が生まれてすぐに離婚してしまった自分に対して、きっと私は一生、自分に問い続けることになるだろうと思います。「これで良かったのだろうか」と。

 

でも、離婚しようと決めた時も、そして今も思うことは、たとえ婚姻関係を継続していても「これで良かったのだろうか」と自問し続けるだろうということ。

 

離婚を決めた時、はっきり言ってやり直せる余地はもうほぼなかったものの、夫への感情的な憎しみや嫌悪はなかったです。それは今もないのですが(向こうはあるかしら)、嫌いで離婚したわけではなかった、というよりもこの先一緒にいてもっともっと嫌になって、嫌になった延長で、大嫌いになったらきっと子どもも辛い、私も夫も辛いと思ったのはよく覚えています。

 

今でも(今日も)別れたけど夫に電話で叱られ、こちらの考えもあまり聞いてくれずに結論ありきのスタンスなので閉口したばかりですが、「まったくもう!嫌んなっちゃう!」で済んでいるので距離を取ることで私は彼と子どもたちの親としてやっていけるのだろうと思います。

結婚生活が離婚するほど嫌だったかというと、本当に細かな砂みたいな降り積もり方で「嫌な感じ」はあって、拭っても拭っても消えなくてかえってどんどん増えていく感じはしました。

 

ただ、一方で彼の抱えている支配したい気持ち、人を上か下かでしか見ない感覚については本当に不安があり、子どもたちが大きくなったら大変だなと思っていました。

予想外のことに苦手な人なので、「子どもが外出先でトイレ失敗した」とかもプチ許せず、「なんで早く行かせないんだ!」と怒られることもありました。いや、行かせたけどその時はどうしても出なくて電車乗ってる間に間に合わなかったんだよというのが理解しがたいようでした。

よくあるパターンだったのが、娘の粗相で私が怒られてるの図。

これって絶対に娘の精神衛生上良くないと思いました。

 

そこから夫の勝手な進路変更や向こうの家族のことなどいろいろあっての離婚でした。

「離婚した子供は不幸になる」という不幸の言葉を彼の友人からいただきましたが、その友人の言葉を聞いてますます離婚を決意したり。

 

でも、今でも娘は毎週パパと会っていて、息子もあってほしいけどなぜか娘優先になっているという現実。

これが我が家。

娘は遊んだ後にもっともっとパパと遊びたい!というし、時々は泣きじゃくります。だからそういう時は本当に悩むし申し訳ないと思います。でも、別れない選択をしたとしていがみ合っている自分がいるのも火を見るより明らかで、もっともっと夫への恨み憎しみを募らせることを考えたら、娘の心をしっかり受け止めて受け入れて、私も元夫ちゃんと話せる状態でいたいと思いました。

 

ここの記事にある「グラグラ」しちゃうのも現実だと思います。

ステップファミリーはまた違う大変さもあると思います。

 

でも「家族」って全部違うから。こんなにバラバラになってしまったけど、娘と息子と私とそして元夫は家族だと思います。

元夫はどうしても「ここじゃなくちゃ」という組織で働き始め、場所も東海地方と離れてしまいますが、彼がその地で頑張ることを多分、私は誰よりも望んでいて、そして彼の危うさを危惧していて。

「離婚したくせにまだ心配してるの?」と親に言われますが、他人になりきれない部分はあるなと思います。

 

私のケースが他の人にハマるとは絶対思えないし家族のあり方もいろいろ。

でも、そんなことは子どもは知ったこっちゃないからいつだって「パパに宝物だと愛されてる」「ママに大事にされて愛されてる」って思えるように親として最大限の愛情を伝えていかないといけないなと思います。

それは抱っこだったり、一緒に遊ぶ時間だったり、子供との関わりの中で伝わるものなのかもしれないですが。

 

毎週会ってるけど、養育費はないし何なら毒吐かれまくることもあるのですが、離れているからこそ、おおらかに?すぐに忘れてまた夫と話したりできるのでやっぱり私は結婚に向いてなかったのかもしれないと思いました。

 

そんな私の弱さが子どもに迷惑をかけることもあると思いますが、自分なりに子どもの心のケアは一生考えていかないと。