子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

4連休

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意図せず、というかもともとは3連休のつもりが息子の体調やら保育園のことやらで4連休になった10月のある日。

みんなが働いている日々、「休んでいる」と言う状態はやや罪悪感もありつつとにかく思う存分に眠れること、いつだって昼寝をしていい権利を持っていることに心底嬉しくてダラダラと過ごしていた。なんなら病み上がりの息子よりも私のほうが寝ていた。

 

息子の風邪をもらった気もしていたし、その前まで6連勤ばかり何週間もしていたせいもあってなんかずっと体調不良だった。寝ても寝ても倦怠感が拭えない感じで、あまりこれが長く続いたら別の病気を疑うべきか?なども頭によぎったり。

積極的に寝て、とにかくご飯を食べて寝て、食べて寝てを繰り返して無事に太って無事に回復した。

とにかく元気が一番。

 

久しぶりに息子は保育園に行って、私も4日ぶりに職場に行って、浦島太郎状態だなと思ったけれど、日頃からシフトで働いている他職種の皆様にはそんなのは(私が休んでたかどうかなんて)関係ない。

院内携帯も持ち帰っていて連絡を取り合っていたので休んでいることを知らなかった人もきっといる。

 

4日ぶりの出勤だから、きっとどっさりとメモなどがあるだろうなと予期していたけど、机の上にはとくにメモももなく「ああ、意外と電話もなかったんだな」と思って通常業務に取り掛かった。

で、特に何の問題もなく午前を終え、午後を迎え、まもなく帰ろうかという夕方になって初めてクリアファイルに丁寧にまとめられたメモの束を発見!!

 

おお。終業の10分前に発見したよみんなには内緒だよ。

そう思って一つ一つチェックをしたけれど幸いにもほとんどのメモが今日一日で対応したことばかりでホッと一安心。

みんなタイミングよく電話くださって素晴らしいわ〜と思っていたけど、タイミングよく電話くださるように、諸先輩方が「いないから明日以降によろしく」と伝えてくれていたおかげだった。

 

こんな一つ一つは大きなことではない、電話の取次一つもすごく同僚や先輩に助けられているなぁと思う。

 

4日ぶりだけど、もう休みたい!など思わずしばらく楽しく働けそう、というか有給のこともあるし働かねば。

高2と小2。

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ふいに姪っ子が遊びに来た。姪っ子が生まれたとき、私はまだ社会人にすらなれていなくて、大学の片隅でくすぶっていた。

あの頃まだ、何になれるかもわからず、一日一日を生きてるだけの日々だった。精神的な不安定さがもたらす「砂」の感じはなんとも恐ろしかった。

私の人生は無味乾燥で、意味も価値もない。だけど姪の誕生はこの世の光かと思われるほどに愛おしかった。

姪と会うと特別に思うのは、私の初めての姪だからかもしれない。そんな姪ももう17歳だという。

人生が最高にキラキラしている時代だ。

だけど、ふと実家に来るということで急遽、我が家の子どもたちも一緒に遊ばせてもらった。長女だからか、子ども好きだからかわからないけれどすごく面倒見が良い。親が面倒臭がることも「いいよ。やろう」って一緒に遊んでくれる。

娘は姪が高2であるとか本来は思春期真っ只中で幼い子どもの相手よりも3度の飯より好きな人って時期なんだということなど露知らずに、甘えて遊んでもらっていた。

 

今は、高校もほぼ行ってないという。授業のほとんどはオンライン。テストでたまに行ったのが最後。

何なら体育祭も文化祭もないという。

 

そんな状況だからわざわざ部活のためだけに学校に行くのも当然面倒くさくて、学校自体に行く機会がないようだ。

それでも成り立ってしまっているのか、こういうもんと思うしかないのか。

 

福祉・医療・介護の業界で出勤せずに全部リモートワークでまかなえるなんてことはまずない。

この先にどんな道を選ぶかはわからないけれど、今の若い世代が社会に出たらそれなりのカルチャーショックはあるかもしれない。「そんなことリモートで済ませろよ」みたいな。

 

そんな姪の行く末もあんじつつ、姪の素敵さはやっぱりいろんなことに素直に関心を持ったり、フラットに付き合えることだなと思う。

4歳のきかん坊のことも、8歳の甘えん坊のことも、この上なく優しく包み込んでくれる。

今や両親が仕事の日は料理までしているという。

姉のフォロワーという感じ。

17年てすごい時間なんだなと思うし、姪が楽しく、やりたいことに邁進してくれたらいいなと思う。

私は自分の人生の価値も意味も、あるものだと信じて今は生きている。

あの頃、どうしてあんなやばいメンタル構造から抜けられなかったのか。自分でもよくわからないけれど、17年の間に雲散霧消していった。