ふいに姪っ子が遊びに来た。姪っ子が生まれたとき、私はまだ社会人にすらなれていなくて、大学の片隅でくすぶっていた。
あの頃まだ、何になれるかもわからず、一日一日を生きてるだけの日々だった。精神的な不安定さがもたらす「砂」の感じはなんとも恐ろしかった。
私の人生は無味乾燥で、意味も価値もない。だけど姪の誕生はこの世の光かと思われるほどに愛おしかった。
姪と会うと特別に思うのは、私の初めての姪だからかもしれない。そんな姪ももう17歳だという。
人生が最高にキラキラしている時代だ。
だけど、ふと実家に来るということで急遽、我が家の子どもたちも一緒に遊ばせてもらった。長女だからか、子ども好きだからかわからないけれどすごく面倒見が良い。親が面倒臭がることも「いいよ。やろう」って一緒に遊んでくれる。
娘は姪が高2であるとか本来は思春期真っ只中で幼い子どもの相手よりも3度の飯より好きな人って時期なんだということなど露知らずに、甘えて遊んでもらっていた。
今は、高校もほぼ行ってないという。授業のほとんどはオンライン。テストでたまに行ったのが最後。
何なら体育祭も文化祭もないという。
そんな状況だからわざわざ部活のためだけに学校に行くのも当然面倒くさくて、学校自体に行く機会がないようだ。
それでも成り立ってしまっているのか、こういうもんと思うしかないのか。
福祉・医療・介護の業界で出勤せずに全部リモートワークでまかなえるなんてことはまずない。
この先にどんな道を選ぶかはわからないけれど、今の若い世代が社会に出たらそれなりのカルチャーショックはあるかもしれない。「そんなことリモートで済ませろよ」みたいな。
そんな姪の行く末もあんじつつ、姪の素敵さはやっぱりいろんなことに素直に関心を持ったり、フラットに付き合えることだなと思う。
4歳のきかん坊のことも、8歳の甘えん坊のことも、この上なく優しく包み込んでくれる。
今や両親が仕事の日は料理までしているという。
姉のフォロワーという感じ。
17年てすごい時間なんだなと思うし、姪が楽しく、やりたいことに邁進してくれたらいいなと思う。
私は自分の人生の価値も意味も、あるものだと信じて今は生きている。
あの頃、どうしてあんなやばいメンタル構造から抜けられなかったのか。自分でもよくわからないけれど、17年の間に雲散霧消していった。