子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

離婚して5年が過ぎた。

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離婚してもう5年になる。早いもので、あのときお腹にいた息子も5歳だ。

最近、養育費(教育費)の相談をしたら「離婚に納得していないので出さない。謝罪してからにしろ」とのことだった。

 

hopeforchildren.hatenablog.com

 

「どうして離婚したのだろうか」ということを彼は今もわかっていないし納得していないのだろう。私が彼を「騙して」離婚したと思っている。それに「結婚したのに離婚の選択肢を持っているのは悪魔の考えだ」とも。

彼が結婚生活の中で見ていた景色は私のそれとは違う。

楽しく過ごした時間はまったくなかったとは思わないけれど、「家族で楽しい時間を」ということのために彼の逆鱗に触れないことに専念していた私の忙しい心や日々の気苦労などはもちろん彼が知らないこと。

それでも、そうした程度で滞りなく家庭が回るなら離婚なんてしない。

 

何度か本人に直接言ったことがあるし、ここにも書いた気がするけど、「どうして離婚したんだっけ」ということを最近また考えていた。

6年前、彼は「大学に行きたい」と仕事をやめて受験をすることになった。学びたいことがあるならぜひがんばってね。そんな気持ちで応援していた。受験勉強の傍らで育児なんて無理だしそもそも仕事をやめて単なる受験生となった夫だと保育園に預けることも困難になる。

彼は家も出ていって隣県に別宅を借りて勉強に集中することにした。そこで「離婚しましょう」ということになった。だけど私の中では本当にここで頑張れる人なら、きっとまたうまくやっていけると思っていた。

ペーパー離婚なの?と言われればそうとも言えるしそうじゃないとも言える。私の中ではまだ彼とやっていける可能性があるかもしれないと一縷の望みを抱いていたから。

 

だけど受験の近づいたある日、彼は「やっぱり受験なんてしない。大学なんて行きたくもない。これからは父親の示してくれていた道を志す」と彼の父親の望んでいた道に進むためにすでに入学手続きまで済ませていた。

彼の父親は虐待親だ。彼がサバイバーだったのは本人からも彼の兄弟からも聞かされていた。だけど結局、父親に認めてもらいたい気持ちがあまりにも強かったんだろうな。私は彼が父親の勧める道を歩んだことを、そう解釈した。

 

そこに私がいる必要はないし、私はこれ以上彼を支えていくことはできない。そう思った。

 

5年経った今、離婚に後悔はない。

むしろ、あのときの決断は間違っていなかった。息子がこんなにのびのびと日々過ごせるのは元夫がいないからこそ。

そう確信している。

 

私が育てていて、一緒に生きているけど父親が彼であることに変わりはない。だから社会的責務、親としての責務もあるだろうけども、彼自身は私との関係が恨めしく、子どもたちにその責務を果たすこともしたくないと言っている。

弁護士さんに相談してみるのも一つかな。最近はそう思っている。

 

母に言われたのだけど、離婚したのだしあの人から子どもの教育費をもらわないでもいいんじゃないか、と。

果たして私の収入だけでどこまで子どもを満足に育てられるか、お金をかけてあげられるのかという最難関はあるけれど、基本的にはもらえないものとして計画していこう。

 

 

仕事のプライドとは。

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この冬、若年の患者さんを担当することになった。まだ若くて、キーパーソン(病院からの連絡を受けたり、決定事項に携わる人)は両親だ。

彼のように若い人が不運にも病気を患い、長らく入院生活を強いられるということは稀にあって、親御さんからしたら「うちの子に限って」と悪い夢をずっと見ているようだし、本人からしても「どうしてこんなに事になってしまったのか」となかなか受け入れがたく、もがく。

 

事故なら「あのとき事故に巻き込まれたから」とわかりやすいし外傷もあるから「ここが痛くて、ここが折れていて」とわかりやすくもある。

それが病気となると因果関係は不明だ。ましてや健康診断では何の問題もなかったのならなおさら。

 

そんな患者さんが、うちの病院に入院してきてから、とにかく腹痛と体のしびれとで苦しめられていた。ほとんどしびれは痛みに近くて全然動かせないという。

ずっとずっと医師にそのことを訴えていたけど「それはもう頭の異常信号であって本当にお腹が痛かったりしびれたりしてるのとは違う」と先生は繰り返し説明していた。最終的には「そんなに言うなら、この病院にはもうこれ以上は入院できなからね」と彼に言い聞かせていた。

彼も負けじと「だけど俺は実際につらいんだよ。どうして否定するんだよ」と反論していた。

先生の言い分もわからなくもない反面、彼の気持ちもわかる。だってきっと彼の感覚では痛いし、しびれてる。

私と会うと、にっこり手を上げて挨拶をしてくれるけれど、看護師さんには「ずっとこのしびれは続くのか」「痛くてご飯も食べたくない」と弱音を吐いている様子。

 

そんな日々がずっと続いている。

ある日、普段は見ていない先生がたまたま当直をしていて診てくれる機会があった。その時に先生がその患者さんにこんな話をしたらしい。

「そのしびれの原因はおそらくここ。腹痛はこっちの理由だよ」と。

彼からは「主治医からそんなこと聴いてない」とその先生に反論もしたようだけど、「専門の僕から診たら、こういうことが言えるんだよ」と。

そして、心配しているご両親にも電話で「彼の不調の原因はこういうことなので、こちらで治療続けていきますね。何かあったらまたご相談ください。主治医の先生にも僕から話しておきます」と伝えてくれたらしい。

 

医師の言うことに反発したり反論するとムキになってしまうドクターは少なくない。普段はどんなに温厚でも、「でも先生、痛いんです」「寒いんです」「苦しいんです」というとすぐに「気のせい」としてしまう先生。

たまたま診てくれた当直医は、患者さんの言葉を受け止めて、画像診察もして、本人に詳しく説明して、何度反発されても最後まで丁寧に話すということをきっとやめなかった。

先生の姿勢を間接的に(カルテで)見て、「私もこういう人でいたい」と思った。

自分の見立てや自分の思いなど、所詮どうでも良いというか患者さんには知ったこっちゃない。

大事なのは、患者さんの吐き出すものを受け止めつつ本質的なことを掴んでいくこと。

たまたま通りかかった当直医は普段から人の心を掴むのが上手な先生ではあるけれど、まさか日頃診察していない患者さんの「今」を診て必要な言葉を彼にかけてくれるとはね。

 

医師って病気を診ることも仕事だけど同時に心を診ていくことも仕事なんだろうな。できる先生が実はそう多くないというのも事実だけど。

その先生を見ていると、医師としての矜持は感じるけど変なプライドはない。患者さんに食って掛かられようが「わかったわかった。あんたの言うことはそのとおりだね」って言うし、家族への気配りも忘れていない。

 

誰でもできることじゃない。だから外来はいつも混んでいるし、信頼される。実際に病気を治すし、治療を放棄しない。

 

主治医じゃないのに本当にすごいな。

私も不要なプライドはどんどん捨てていこうと思ったし、大事なのは「専門職としての矜持」であって、それを表に出して見せびらかすものでもなく、患者さん(目の前の人)が助かっていくために真剣に向き合って、受け止めていく強さなんだろうなと思った。

まだまだ私は先生の足元にも及ばない。だけどこうして尊敬できる先生がいるってありがたいこと。