先日、知人の方がシェアしてくれたニュースです。
ニュースの内容に入る前に、里親委託と養子縁組のおさらい。
里親委託とは?
里親の中にも種類がいっぱい。
- 通常の親権を有さずに児童を養育する者は、個人間の同意の下で児童を養育する「私的里親」
- 国と地方自治体から児童を養育するに充分な養育費と里親手当てを受給して、児童相談所から委託された要保護児童を養育する「養育里親」「専門里親」
- 児童養護施設の収容児童を週末や夏季、年末年始のみ預かる「週末里親」「季節里親」
養子縁組とは?
※養子の年齢は6歳未満と制限されている(6才未満から事実上養育していたと認められた場合は8才未満まで可能)
以上、Wikipediaより。
虐待、貧困、望まない妊娠…ひと言で言えば、身勝手な親が増えていることに現行制度は追いついていない。育てられないのに親権を主張する中途半端な親の愛情は子供にとって幸せなのか。そうした親に代わって社会が子どもを育てるという意識改革が必要なのだろう。
とニュースは結んでいます。
ニュースの中で「施設にいればいつでも会いにいけるのに、里親に出して会えなくなるのは嫌」と言いながらほとんど面会に来ないお母さんとか「子どもが親を愛さなくなるのではないか。里親に情けが移るのではないか」と心配して里親に出したがらないといった声が出ていました。
そういう人もいると思います。
が、「だから〜なんだ」という結論は軽率だと思いました。
子どもにとって何がベストか?
母親にとって(父親にとって)何がベストか?
無限ループの謎かけですね。
子どもはどんな親でも、親を慕います。それは痛々しいほどに。
自分の幼少期を振り返っても、「ママは絶対」と思っていました。この世界に絶対がないとわかっても、絶対と思う強さを感じていました。
だからもし、母親と引き離されたらすごい絶望感を味わう、ということもあるかもしれません。たとえ虐待家庭でも。
それでも引き離して安全を保障してあげなくてはいけないこともあります。
そのとき、子どもを施設に預けて親は別で暮らして、というのは親にとって単なるモラトリアムです。子どもを育てられるように、愛せるように、関われるように、親も経済的、精神的自立が必要になるのですがその間の期間が施設で過ごすことになるのだと思います(もちろん、もっと色々なケースがあると思いますが)。本来は。
子どもは日々、どんどん成長してそのときにあふれんばかりの愛情が欲しくてしょうがないわけです。自分の子どもを見てても思うのですが、彼女が成長するには、3度の美味しいご飯以上に保育園や親、祖父母など周りの大人からの愛情が必要不可欠だとつくづく思います。
子どもにとって安定した気持ちで安心した中で育ち、愛情をかけてもらえる環境で育つことが理想なのは間違いなさそうです。
でも、同時に「子どもの愛情が里親に移るのが怖い」「会えなくなるのが嫌」という親の気持ちも見過ごせません。
子どもとの関係がうまく築けないからこそ出る不安であり、出産に至るまでの経緯や産後の環境(夫がいないとかいても暴力夫とか)、さかのぼって親自身の生育歴も含めて、受け止める存在が不可欠なのではないかと思います。
自分の人生、諦めちゃってる人もいるかもしれないし、本当にどうしようもなくわがままの人だって嘘つきだっていると思います。子どもがいなければ、ある意味「そういう傾向があるよね」くらいで社会で生きていけるけど、子どもがいることでその「どうしようもなさ」が露呈されるケースもあると思います。
でもその人の持ってるちょっといきすぎたメンタルは、子どもを養子縁組に出しました、里親に出しました、で、解決されるものではないし、「まあ、時々大変だけどなんとか子ども関係を築けるようになってるよ」くらいまでいけるようなサポートができたらいいなと痛切に思います。
「身勝手すぎる」と言い切るのはすっごい簡単です。だけど、それじゃ何も報われないなと思いました。
どんな人間関係でも「成長していく」(変化する)自分のキャパシティが大事。自分の過去も、今も、子どものことも、全部が分からなくても「受け止めていく」という覚悟みたいなもの。子どもによって変わる自分も受け入れていくということを良い方に考えていけるといいんだろうなと思いました。
鉄は鉄によって研がれる。人は友によって磨かれる。
という聖書の言葉通りですね。