子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

与えること。奪うこと。

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やや重い話。

元夫は子どもたちの養育費を払っていない。

思い返せば、出産費用も私自身で捻出した。一人目も、二人目も。保険で補助されるお金はあったけど、都会の病院はそんなものでは容赦ない。預り金20万円で、結局補助+預り金を全部と数万円、出産に費用がかさんだ。

だけど、一人目を産んだときから「何かあったら経済的なことを理由に私を責めるかもしれない」。

そう思うと、夫に負担をお願いする気にはなれなかった。「産むのはあなた、入院するのもあなた。俺がお金を払うのは貸しだ」と言われても、おかしくないと思っていて。そこまでひどい人ではないのかもしれないけれど、少なくとも私の中にはそう言われないと思える安心はなかった。

 

だから、私は経済的には本当に何も頼らずに産んだと思う。

強いて言うならベビーベッドは家計から出したかな。

 

それだけだった。

 

その後、子どもが育つ過程でとくに息子は病院にイレギュラーに行くこともあって月に何度か選定医療費を払ったこともあった。そういう事も含めて一切の養育費は受け取っていない。

かといって正社員で働いていて、ギリギリで児童扶養手当も切られているし、何の恩恵も今やなく子どもを育てているんだよな。ということを急に思い出した。

 

お金が全てでもないし、もともと生活費も完全折半だったから、元夫に経済依存はなかったものの、離婚することに集中しすぎて養育費をもらう算段をしなかったのは良くなかったかなと思ったり。でもあの頃、元夫無職だったし。

養育費をもらうことできっと教育にも口出すんだろうなと思うと、やっぱり請求もしづらく...。

 

最近たまたま「連れ去りされました」みたいな父親アカウントを立て続けに見て、一様に養育費の支払いについて触れていない違和感というかみんな同類かよ!みたいなことを思ってしまった。

私は元夫から「子供と過ごす生活」を奪ったのかもしれない。

子どもからも「父親と過ごす生活」を奪ったのかもしれない。

だけど。

だけどふと思い出したのは結婚しているときから一度も旅行もしたことがなくて子どもの成長に応じた体験も経験も、元夫は与えようとしてこなかったということ。

そして子どもが成長過程で必要とする経験にかかるお金も、医療や生活かかるお金も一切を負担していないこと。

 

この世の中に自分が何も与えずに何かを与えられることはない。

それでも月1ないし、それ以上に子どもと元夫は時間を過ごしている。元夫はいつも非日常で子どもと遊んでいるからきっとすごくいい距離感なのだろうと思う。

養育費については少し考えてしまうけど、この頻度で面会もしていて負担していただくことには何ら問題ないのだけどもな!と思っている。

 

冷静に考えればふたりとも中学生高校生になったら月20万でも足りないくらいなわけだな。

 

ああ、恐ろしい。その頃にかかるお金の多さに背筋が凍るわ。