子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

結婚はエベレスト級の山ではない

結婚してまだ2年半くらいなので、いっぱしのことは語れないですが、未婚の人が語る結婚についての記事でいろいろ考えさせられました。


結婚できない私の話|それでも僕は、外科医をやめない|雨月メッツェンバウム次郎|cakes(ケイクス)

過去に2度同棲していた彼女と結婚を考えていたが2度とも結婚に踏み切れなかったわけ、つらつら、つらつらとありました。

 

人にはいろいろな事情がありいろいろな思いもあることがわかって医学生の恋愛事情を垣間見ました。

読みながら感じたのは一言で言えば「結婚を何か実態のあるものとして考え過ぎてるんじゃないの?」ってことでした。

もちろん、結婚したら戸籍も変わるし、社会制度上の変化もあって実態のない幻だとは思ってません。

でも、この雨月さんがいうような「まだまだ外科医として勉強したい時期。5年は時間が必要」っていう話って結婚の阻害要因かな?と疑問を感じました。

 

むしろ、そう言うことが言える相手ではなかったんだね、ということかなと思って。

「結婚する相手、見つからない」と嘆いている人(かつての自分)は、結婚は責任が伴うとか相手のためになにもできない自分に自信がない、というケースがありそうです。

でもそれは自分フォーカスというか自分「が」相手にということになっていて、「一緒にどうしていくか」になってないなと思います。

もちろんすべてがそういうわけじゃないけど。

 

その「一緒に」を相手とやっていく期待感が持てるかどうか。失職、病気、借金、事故、災害、転職・・・なんでもいいんですがチャレンジだなって時にこの人の知恵と自分の力があれば越えていけるんじゃないの?っていう期待感です。

相手がどうにかしてくれるっていうやつじゃなく。

だから頼りがいがあるとかは大事だけど、一方的な頼りがいじゃなくてお互いにそれを感じているか、というのがけっこう大事な気がします。

 

「ついてきてくれ」とか「あなたについていくわ」とかだと、ついていったのに損したとかついてくるって言ったくせに裏切りやがってとか言うことになるのかもしれません。

私の周囲(すごいこれまたバイアスのかかった統計ですが)では、結婚する相手には、別に結婚を意識しない時期から互いの親のこと、家族観、自分の将来の夢、なんでも話せたと言っていました。

 

そう言うのも一理ある気がします。

あとは生活観もかかわりそうですが。


自分の人生の今が十分楽しくて満たされてて、その上に結婚があればいい、くらいなものだと思っています。結婚してない/できないは欠落じゃない。

 

それでも結婚したいのは、すごくわかるし私もそう思っていましたが、「結婚」に縛られなくなって夫に出会いました。

 

だからってわけじゃないけど「結婚願望」の憑き物が落ちた時が婚期かしらと思ってます。

大事なのは精神的/経済的/肉体的安定を求めて結婚を考えず、自分の楽しいこと、笑える時間、一人でゆっくりする時間を満喫することかなと思います。

その上で人の接点を増やして数ある出会いの中に縁あって出会った相手と結婚するかもしれない、というものかなって気がします。


女性は、子ども欲しいと思うから葛藤もありそうですが、結婚したら絶対に妊娠、出産できる保証はないわけで、「結婚」を通過しないとその先の人生が全然開けない、と思うと結婚の条件やリストが増えそうで、目の前の人より理想な人ばかり追ってしまいそうです。

たくさんの出会いのトライアル&エラーを繰り返して、この人だなって人に会えたら結婚すればいいし、しなくてもいいし、そんなに牙城のように思わない方がいいって強く思います。

だって、エベレストじゃないもん。結婚は。登頂したところであんまり、ていうか全然景色変わらないです。。