子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

人間関係は相互関係

soarの記事が好きでよく読んでいる。

最近読んだ記事もよかった。

 結婚して離婚して...その原因は私も半分あると自覚している。

結婚前にきちんと相手のことを見ていなくて贔屓目に見過ぎていたと思う。

相手はかなり複雑というか病んでいる家族の中で育てられていた。義姉は武勇伝のようにその話をしていたし、元夫も「なんの影響もない」と言い放っていた。そういう言葉を鵜呑みにしていたのは、本当に愚かだったと思う。

彼らの本音は「傷から癒えていないし立ち直ってない」だった。なのに信じたい言葉を信じたんだと思う。「立ち直ってるのに違いない」って。

結婚前のカウンセリングも受けてたけど、カウンセラーがプロじゃないのを知ってたから、全然信用してなかったし、「この人たちにアドバイスされるなら自分たちで解決する」くらいのとんがった気持ちが強かった。

 

そういうことが、そもそもの元凶だったと思う。

今だって思うけど、ものすごく悪人というわけでもない。大概、モラハラ傾向にある人は外の顔はものすごく良い。

でも家の中では徹底的に支配的で権威的になる。「父親たるもの、敬われるべきだ」と。よく言われていた言葉に「僕は夫なのだから尊敬しろ」というのがあった。

あなたの?どこを?尊敬????え???

尊敬ってそんな無条件なものなの?と冷め切った思いで聞いていた。

 

何か話をしようとすれば、「徹底的に叩きのめしてやる」という感じで議論になんかならない。話し合いができる相手なら、きっと離婚はしなかった。

 

相手に期待しないということは、私にとっては「どうでもいいと諦めること」になっていた。

結婚して1ヶ月の頃、なんかの拍子にすごい怒られたことがあってあの頃は「なんとか立て直そう」と必死だった。

だけど、子どもが生まれて何ヶ月かたって...なんか、毎日怒られたり怒鳴られてる環境で子どもが育つのって違うなぁと思っていた。

「良い意味で期待しない」というのは、例えば子どもが何かできてもできなくても、存在として大事で、よくできた時は褒めるし、できなくても一緒に考えるし、という類いのもの。

 

だけど、それは双方向に関係があるからこそ成り立つ。

元夫のように一方的で人を上下関係でしか見ない人だと、いくら周りがそうじゃないよって関わりをしようとしても徒労なんじゃないかと思う。それに、私だけのことだったら、友達に話すとか、こうしてブログに書くとかいくらでも発散方法があるけど、こういう環境で育つ子供ってどんな影響があるんだろうかと思うと、末恐ろしくなったことがある。

 

「良い意味で期待しない」はすごく大事だけど、それは「互いに」なんだろうと思う。

その「お互いに」を結婚前にもう少し余裕を持ってできていたら。結婚しなかったかなぁなんて思うこともある。今となっては、可愛い子どもの存在もあって全く考えられないけども。