愚痴ること。
みんな日常的には誰に・どこで愚痴ってるのだろうか。
愚痴の多くは何のことだろうか。
結婚していたときの愚痴はもっぱら夫のことだった。お願いしても「お願いの仕方が悪い」とか「夫のことは尊敬しろ」とか、まあそういうことについてのムカついたことを本人に言うのもかったるく、かといって自分の中でも消化できずに職場の友達にSlackで夜な夜な愚痴っていた。
夜中まで働いてた、頭おかしくなりそうなあの頃。
離婚してからは憑き物が落ちたように凪になった。
子どものことではえー??って思ったり、いらっとすることもあるけどそれは子どもに向かって「そういうのすごく良くない!!!」って叱ってるし、なんとなく解消されている。
前の職場は医師たちがおかしかったり上司も変だったりでさんざんだったけど、その日のうちに先輩とかに「いやになっちゃいますよね!」って言って解消していた。
今はどうだろう?と思うと、「嫌になっちゃうな」ということはあるけど、その場で「それは困るよ」って伝えたり、伝えられない相手でも相変わらず先輩に相談したり。
愚痴というかは「こういう問題をどう解決したらよいか。私はこう思う」というのを話して整理して...。
そもそも「嫌になっちゃう」のはなぜか?っていう自己分析が先にくるから(これはずっと前から)、嫌になっちゃうことがあっても自分の感情が振り切れてしまうようなことがほぼない。
子供相手くらいだろうか、本気でムカつくのって。
なので、Twitterを見たりして愚痴でいっぱいのアカウントとかあると、「そこまでして人の文句言ってて嫌にならないかな?」とメンタルを心配してしまう。
昔々、変な会社に勤めてて、その時の上司に言われて唯一覚えている言葉が「自分の言葉が発した言葉は自分の脳で刷り込まれるから、人を馬鹿にした言葉を吐くやつは、結局自分にいってるのと同じ」という、本当か嘘かわからないけど本当だと思っておこう、って思った言葉があった。
それが10年以上たった今も忘れずに覚えてるから(その上司は忘れているかもしれない)余計に、人の悪口は言うもんじゃないと思っている。
「愚痴ったらいいよ」とか「吐き出しなよ」とかいうのも、あれも魔物だなと思う。
吐き出す相手、言葉を間違えればただただ性格が歪んでいくだけだと思うのだ。
自分のアウトプットの仕方って大事。
本当に嫌なら然るべき相手に進言するか然るべき場所に訴えるべきだし、自分がその環境からできる限り離れることも選択肢。
何が正解かなんてわからないけど、元夫のことを散々愚痴ってたあの頃の自分と今を比べると、きちんと別れて関係性を変えたことで、今はたまに「やっぱりかわってないな〜」と呆れることはあれど、愚痴りたくなるほどのモヤモヤも残らず、今のほうが穏やかに付き合えている。
『できればムカつかずに生きたい』。
昔何度も読んだ田口ランディの著作タイトルを胸に。