子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

「拒否」の気持ち

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娘が先月中旬辺りから「学童に行きたくない」と言う。

たまたま通院だったり、私の休みだったりで行かない日も普段より多くあったものの、今月も「行きたくない」という日が多く続いている。

理由を聞くと「学童がうるさい」「嫌なこという子がいる」など。

 

昔は不登校の子どもを「登校拒否」と呼んでいた。少なくとも私の小学生時代くらいまではそんな呼び名だったと思う。総称がきっと時代やいろんな考証を経て「不登校」になったのだろうけども、最初に「あ、行きたくない」と思う気持ちってすごく大事というか、そこを見過ごしてはいけないなと今回しみじみと思っている。

 

別に娘自身に具体的な傷があったとかものすごく困り果てた出来事があったわけではないだろうけども、本人なりに「行かない」と決めたこと、彼女なりにいろいろな理由があったこと、そして「行かない選択肢」を本人が持っていることは、彼女自身の成長でもあり、この気持ちを尊重していこう。

そんなふうに受け止めた。

 

1年生の頃からかなりしっかりしていて宿題も言われなくても取り組めるし、お手紙も連絡帳もちゃんと所定の場所に置いてくれているし、学童よりも家にいたほうがより自由に娘が過ごせて安楽にいられる。そうなのであれば、学童に行く選択肢はなくていいかな、と思えた。

 

それに、よくよく行きたくない理由を聞いていると、言葉の汚い男の子がわざとぶつかったり、ちょっとした嫌がらせをしたりするという。おまけに同学年の友達に、1年制と遊んでいたことを笑われて。

娘にしたら、笑われる筋合いもないし、個人的にはそういう笑いって大嫌いなので「は???」と同学年の友達には(親の私が)ムカついている。

 

娘も大いにムカついたことだろう。同時に傷ついたことだろう。

嫌な思いまでして行く必要がない場所っていっぱいある。

 

おとなになると「そうはいっても」と無理して仕事に行ったり学校に行ったりして、気持ちが落ち込んでしまう。そんな人も多いことだろう。

早めに休む。拒否する。

 

どうしても拒めないことも世の中にはあるかもしれないけれど、大概のことは「やらないでも地球はまわるのか」「世の中すべてが自分を否定するわけではないぞ」という感じだ。

 

だったら、立ち止まることの効用ってすごく大きいと思う。

自らそれを表明できた娘の成長に、なんだか嬉しい気持ち。そして、これからますます増える娘の自由な時間、有意義に過ごしたり、無為に過ごしたりして、思う存分「自分の時間」を過ごしてほしい。