子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

愛情のベクトル方向と記念日

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今年も、母の日が過ぎ、父の日が過ぎた。

母の日にはお寿司を、父の日には日本酒を渡した。

まあ、お寿司は一緒に食べたし、日本酒はもらおうと思ったけどきっとなくなっていそう。

それはそれでかまわない。

 

子どもの日には、あまり普段もたいしたことはしてないのだけど、柏餅を買って今年も食べた。

敬老の日勤労感謝の日など、日本にはいくつも「感謝」を表す祝日や何かを祈願するようなお祝いの日があるけれど、なんだかしっくりこない。

 

なので、母の日だからといって、幼な子が保育園や幼稚園に描かされた絵や作品を持って「ママ、いつもありがとう」とか言って何かくれるのは「ああ、そういうの大丈夫だよ、元気でいてくれることがいいのだから」となんとなく思ってしまう。

まあ、うちの子どもたちの保育園はそういうのがないので非常に心地よい。

 

心地悪さの一番の理由は、まだ親に感謝するとかそういう年齢でもないだろう子どもたちに「親は感謝すべき」というものを上から植え付けるみたいなのが苦手だからだろう。

 

私も本当に親に感謝できるようになったのはおとなになってから。まず、社会に出て初めて父親がどれほど激務で仕事をして家族を養ってきたか、強靭な精神力と肉体だわと思ったし、生涯年収は私の人生が何周したら父に追いつくのだろうかと思ったあたりから。

子どもが生まれたり、いろんなことがあってそのたびに感謝をすることが多くあって、今は毎日のように感謝感謝と思っている。

子どもは親に感謝することも何も知らず、気楽にのんびりと大きくなってくれればいい。私が望むのは健康でいること、のびのびと家で過ごせること。

究極的にはそのことで、勉強もスポーツも頑張ってほしいなと思うこともあるけれど、頑張れない時があってもまあ仕方ないかと思う。

だけど、家で安らげない、家でのびのびできないことは、仕方ないとは思えないし、とくに今の小さい時期はそうできない全責任は私にあると思っている。

 

母の日も、父の日も何もなくてそれがうちらしいなと思う。

当然、私も何ももらってないし子どもに「ほら、パパにあげて」とかもない。

それよりもみんなでお祝いできる誕生日やクリスマスや元旦が個人的には好き。

 

期待もない分、がっかりもない。

ひとり親になってもう5年になるけど、そのあたりの感覚とか価値観が相手と合わせる必要がなくて楽だなーと思う。

この先、いろんなことがきっと絶対あるけれど、子どもを一番に、子どもの心と体を守ること。これが最優先。

家がいつまでも安全地帯でいるために、愛情のベクトルは親から子へ。

子どもが元気にいきいきといてくれることが、最大のお返しよ。と思う。