子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

3歳児神話が令和の時代にも続いてる

日がなTwitterを眺めているといろんな意見や考えを目にする。今日びっくりしたのは、「1歳までは親と一緒に。じゃないとかわいそう」という保育士さんの意見。

 

 そういう考えが世の中にあること自体は知ってたし、大学時代の同級生も「3歳までは親が子育てしないと」と言ってた。彼はその考えに寄り添う方と結婚してお子さんを育ててそれはそれで一つの形だなと思う。

以前もここに書いたけど、私は仕事を続けたいと強く思っていたのでできれば早めに職場復帰したいと思っていた。別に働かされてるわけでもなく、子どもが嫌いとかでもなく、保育園をとても肯定的に捉えてて、預けて働くことを選んだ。

7年前、娘を生後8ヶ月で預け、4年前に息子を生後4ヶ月で預けたけど今もって一度もそのことを後悔したことはないし、今の保育園には感謝しかない。

 

いっぱい怒られ、ムッとしたこともあったけど最後はその先生が誰よりも良き理解者、応援者となってくれた。私はあまり変わってないと思うけど、先生から「お母さん頑張ってるね」と言ってくれることが増えた。

何も頑張ってないんだけどもね。

 

頑張ったといえば、保育園6年の間に何度か転職のタイミングがあって、子どもの生活にも支障のない仕事や働き方をできるようになったことか。

それでも家事などはギリギリ。洗濯は唯一毎日やって忘れ物とかないように気をつけてるけど、それでも土曜まで仕事ってこともよくあるから、上履きと外履きのどろんこ靴を洗って月曜に持たすのはなかなか大変だなってこともある。

まあ、そんなことはありながらも、保育園に毎日10時間以上子どもを預けてて「子どもの成長を見逃した」と思ったことはない。

3歳までとか1歳までは家で...という人たちの親としての意識の高さはすごいなと思う。

私など、家で私にだけ育てられてる子どもってつまんなくないかな、大丈夫かなって思ってしまう。

きっと多くの親は生まれる前からお金も時間もどう使うかとか準備して子どものために素晴らしいものを提供するように整えているのかもしれない。

 

親子でじっくりゆっくり時間を過ごす良さもあるだろうなと思うけど、私自身が親とそんなにべったりすることが好きじゃなかったせいか、「子どもには子どもの社会がある、その社会に子どもがなるべく自然に馴染めるように、親以外にも愛されて大切にされて育っていってほしい」と子どもが生まれる前から思っていた。

もちろん、子どもは可愛くて仕方ないので私も心いっぱい子どもを大事にしていきたい。

親が働いて物理的に離れてることが、親から愛情を受けてないと考えるのって何か違うような気がする。

 

生後2ヶ月で職場復帰した先生(女性医師)と話してて、「ママが一生懸命働いてる姿を見て子どもに何か気づいてほしい。ママは一生懸命勉強して、お医者さんになってみんなのために働いてるんだよ。って」と前に話していた。

先生は本当に熱心で一体いつ休んでるんだろうと思うことがある。先生が働いてる分、お子さんも学童や保育園にいるわけだけど、その側面を切り取って「預けられてる子どもは可哀想」といってしまうのは早計だろう。 

そういう働き方に共感できないし、嫌だというならわかるけど「可哀想」というジャッジメントは失礼にあたる。

嫌だと思うなら、そういう働き方を自分は選択しない、ということでよい気がする。

人の子を預かって仕事にしているなら「可哀想」はないような気がするんだよなぁ。

 

患者さんの家族が病院に全然こないとか電話が繋がらないとか日常茶飯事であるんだけど、それだけを切り取って「ひどい家族」とか「患者さん可哀想」とかは思わない。その発想が私にはない。

だってみんな仕事してたら電話も取れないし、親とは関わりたくないっていう関係性かもしれないし。

なので、仕事に直面するあれこれに自分の価値観や感情が揺さぶられるのはやっぱりそこに「自分」が出てるからなんだろうな、なんて思って自分も気をつけようと思った。