子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

主体と客体

3歳年上の姉の話をブログに書いたのだけど、それだけで2000文字くらいになってしまってちょっとホラーだったので、世に出さずお蔵入りにすることにした。

その姉の話。

姉は大学付属の看護専門学校を卒業して以来、ずっと大学病院で看護師をしている。就職して3年目くらいには結婚して三児の母でもある。

昔から「子どもは大嫌い」と言っていて私は子どもという子どもが大好きだったから、結婚は私の方が早くて、子どもも私の方が多く産むだろうと思っていたのに、どっちも外れた。

人生何があるかわからない。

子どもが大嫌いだった姉だけど、自分の子どもは大好きなようだ。よかった。ついでに私の子供も可愛がってくれている。

素性のわかってる子どもはOKなのかも。

 

その姉が、子どもの出産と育児のために病棟勤務を離れて外来看護師だった時期がある。

外来も、内科、緩和ケア専門外来、小児科などを担当してきたという。

中でも、緩和ケアにいた時には相当なストレスを感じていたようだ。

その頃姉は30歳前後。

同じような年齢の女性や同じく幼い子を持つ母が少なくない人数、外来に来ているという。

数時間の緩和ケアの治療の間、姉が付き添ったり話を聞く機会もあり、患者さんの気持ちを思うと胸が張り裂けそうという思いを幾度となくしてきた。それに、割と新しい療法とか機械とかを使って治療が進められていたこともあって、勉強も大変だったよう。

 

でも、そんな話を聞いたのも一度だけ。

姉の中で、患者さんの声を聞いて心の中にグッとためて家に帰れば子どもたちの世話をして…。日常を黙々と重ねていくことが姉にできる唯一のことだったのだと思う。

死を意識せざるを得ない患者さんとそのかたの生活背景、環境を冷静に見つつも、自分と重ねあわさずにはいられない時もあっただろうけど、重ねすぎず、かといって目を瞑ることもなく、ただただ目の前にいる人へのケアに徹していくって姉のことをプロだなと感じた瞬間でもあった。

その時、自分が病院で働くことは考えもしてなかったけど、この姉のプロ感覚は私も欲しいと思う。

 

おそらく究極的に求められているのはその道の専門家としての知識や技術であったりして、傾聴は当たり前だとしてもそれで本来やるべきことができなくなってしまえば本末転倒。

シビアな世界だけど、姉はあんなに優しくて泣き虫だったのにシビアな世界の中でたくましく生きてる。勤続20年が経つ。

一生尊敬します。