ふと、結婚について朝から考え巡らせていた。
この先、誰かと結婚する人生はあるだろうか?などなど。
でも結婚て、相手の人間関係にも巻き込まれ、自分の人間関係も否応なく巻き込みながら築かれていく面が多分にある。
両親のことを考えてみても、夫婦は相手の交友関係を積極的には知らなくてもじんわりと知っている。
特に父は高校の同級生や職場の元同僚たちとのつながりが濃くて、ゴルフ仲間でもあるし、電話やメールでたまにやりとりしてゆるくゆるく付き合っている。
年賀状のやり取りもあるから、もちろん、名前も住まいも母もぼんやり知っている。
母の趣味やボランティアのこと、昔からの友達のことなども名前くらいは父も知っている。
夫婦になるってこういう風にお互いの人間関係をゆるく知っていたり、その関係性の変化も含めてじんわりと知っていることも含まれているのだろう。
私も結婚してほんの数年だったのに独身時代からの付き合いがある相手とかその界隈はなんとなく知っていた。
不思議なものである。
付き合っているだけでは見えない関係が結婚して共同生活をすると見えてくるんだから。
さらに親、きょうだいや親戚など本当にたくさんの人が結婚を機に「親族」として登場してくる。
で、今からそういう相手の背負っているというか背景というか、そうしたものをひっくるめて受け止めたり一緒に生活や人生を築いていけるか?というと、そういうのはもう誰ともできないだろうと思ってしまった。
できないというかはそこに注ぐエネルギーが自分にはもうない、という方が正確かもしれない。
今、娘の友人関係や息子の関係はなんとなくわかっているし、両親についても少しはわかる。例えば両親がもしも亡くなったら、誰を伝えるべきか、と言ったことはなんとなくわかる。
そういう「わかる」って家族ならではのものだろう。
そう思うと、この年になって新たに何か新しいものを求める気持ちは湧かない。
逆に言えば私のことは子どもたちがなんとなくわかってくれているだろうという思いや甘えがあるのかもしれない。
なんだか、考え出したらどんよりしたけど、結婚てやっぱり重たいんだなとしみじみしてしまった。