子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

家族と無意識

高校時代に選択授業で倫理を選択していました。そのときにユングとかフライトを初めて知ったのですが、「人は意識の世界だけで生きているわけではない。実は無意識の領域の方がはるかに大きい」何てことを学び、大いに感銘を受けました。

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あれから20年。

日々、思うことが家族も同じだよなということです。

先週、私の両親に夫がこっぴどく注意されて(おもには私への信頼をしなさすぎでは?ということ)、それにもかかわらず同じことが繰り返されてだいぶこじれてしまいました。
その後、1日置いて夫も少しcalm downという感じになったので今は普通の生活を送っていますが、どうも話を聞いていると、夫の妹からの一言が原因なのでは?と思いました。

 

複雑な家庭環境ゆえ、今でも夫の両親は兄弟たちの間で腫れ物、お客様扱い。娘さんたち(夫の女兄弟)は、お母さんと距離がものすごくあって、だけど本当は一番近くに居て欲しくて、という複雑な気持ちを抱えて生きています。

夫も似たところがあります。

だから家族とか妻とか母とかに過剰反応しているんだなと思います。

夫の女兄弟が「働きながら子供育てる」とかありえないと思っているのは「そばにいてこそ親。親は一緒にいてこそ愛情がかけられる」と思ってるタイプです。

まあ、そのせいで「11時間保育園に入れてる」とか余計なことをペラペラ夫が喋ったようで「あなたの奥さん(私)は娘を本当に愛してるのか?」と余計なお世話をしたようです。

私からの反論を言わせて貰えば「娘に八つ当たりしたことは一度もないし、娘に切れたこともないし感情的に怒鳴ったこともないよ、あなたと違って」というところですが、何を思われようと娘と私の関係の話だし、前近代的な考えの人にいちいち付き合ってる暇もないので言わせておけと思います。

でも、それで夫が余計にわたしにキツくあたるのは、勘弁して欲しいところです。

 

そうこう思うと、親の愛情、家族の絆ってなんだろうということ。

親しい友人もそうですが、いつも会っていつもそばにいれば愛情?といえばそうじゃない気がします。

離れているときほど、愛情や友情は試されるというか。

娘と時間を過ごすことも大事。

でも過ごしていない時間も大事。

 

無意識とは、広義ではそういうことも指しているような気がします。

物理的に近い、目の前という意識される場面と物理的に遠く目に見えないという意識されない場面。

人は、大事な人と実はそう長くは一緒に過ごせないです。

でも、大事だと思うのは、無意識というか一緒にいない時間も思いやり、思い出すから。

本当に良い家族ってそうやって離れてても絆を感じられることなんじゃないかな、わたしはそういう強い関係を人と持ちたいなと思いました。