子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

離婚の現実

夫への思い


これまでもブログでちょこちょここぼしていた夫とのこと。

大抵の人は、伴侶に不満を抱きつつも、なんとか忍耐しながら楽しみながら夫婦でいること、家族でいることを続けているのだろうと思います。

家族なんてそんなかんたんに解体したり、分解できるものではなく、すべきものでもないですし。

 

いろいろわかっていて、いろいろと考えて迷って悩んで、だけどもこの先も私は何十年もこういう不毛なやり取りを夫との間で繰り広げるのか、と思うとその選択をどうしてもできませんでした。

 

hopeforchildren.hatenablog.com

切り取った一日、ある一コマ...
だけど、私にとってはいつ訪れるかわからない毎日のことでした。

仕事と家族、どっちが大事なの?という問ほど嫌いなものはないです。よく「私と仕事、どっちが大事なのよ?」みたいな迫りをする女性のセリフをドラマで聴くことがありますが、もし、ああいうことをいう人がいたら友達になれないかも。

仕事中は当然、仕事が大事だよ。当たり前だろ。

でも家では家族が大事、友達といるときはその友達、その子との時間が大事。

粒度の違うものを比べてあーだこーだと言いたくないです。

 

夫は不貞をしたわけでもなく、子育てはすごくよくやってくれて時々ケーキとか買ってきてくれて優しくて。

基本的に優しい人だし、そういうところとか私が冷たい(と夫は言う)のに比べてマメだなぁなんて思います。

 

良いところだってたくさんある。そんなことよくわかってる。だけども、夫の抱える愛着障害は私が思うよりもずっとずっと深かったです。家族というものを形成していくときにどうしてもそこから私や子どもたちが受けるダメージは計り知れないものがあって、そのことを全部引き受けて仕事もしながら子どもを守りながら、夫の愛着障害に対応していくことは無理がありました。

もし、できると思っていたらそれは私のおごりです。

神様の領域だと思いました。私ごときが夫の人生の支えになれるだなんて思ってた時期があったとしたら(多分あった)おこがましいよといってあげたいです。

 綺麗事かもしれないし、そんなの詭弁だと言われますが、夫のことを大切に思えば思うほど、また、同じように自分のことも大切にしたいと思ったときに「やっぱりこの先一緒に歩む選択肢はない」と思いました。

この1年のこと

 昨年、勉強を始めた夫。

それを急に辞めてきたのは4月も桜が散った頃でした。

え??と思いましたが、辞めることも次の道(別の職業に就く)に進むことももう決めてきた後でした。やけにすっきりした顔をしていて、彼の中で勉強は相当な負担だったんだろうと思いました。勉強がすごく難しくて大変なのは想像の範疇でしたし、おそらく通過していく人は胃に穴が開くとか吐き戻ししちゃうとかとにかく大変すぎる勉強だと思います。

毎週末、帰ってきて子どもと過ごし、平日もたまーに電話をしてきてたので「ほんとうに大丈夫なの?」と何度も確認をしていました。

それでも私はやっていないので大変さは推し量るしか無いし、辞めるという選択も私がとやかく言えないかな、とは思っていました。ただ、まだ試験を受ける前に諦めたということは私の中ではやっぱり衝撃でした。

 

そして、次に進む道は結局、どこに行くのかも(地方のどこに行くのか)わからず、私や子どもの連続的なキャリアを築くことは困難な道なのでどうしても「いいよ!ついていく!あなたと一緒に地獄の果まで」とはいえませんでした。

いや、毎日いつ怒り始めるかわからない日常が十分に地獄の気分でもありました。

弁護士さんとの話

まだ、これからどうしていくかは細かく決まってないのですが、弁護士さんと話していてすごく心が楽になりました。

すでに昨年、離婚届は出していて、それは夫が無収入で別居だからということが大きいのですが、それを「ペーパーだと思ってたのに!」という夫の言い分。それは申し訳ないというか私も復縁する気があったので今なぜ離婚??という夫の疑念は本当に申し開きもできないところです。

でも、弁護士さんいわく、どんな動機であれ離婚は離婚。

これからのことを決めるのが大事です、と言われました。

「よく頑張ってきたと思いますよ」とクライアントだからやさしくいってくださるのでしょうが、傷んだ心にはとても優しく響きました。

離婚を切り出したのは私なのに、今でも夢に出るほど吐くほどストレスがあるのも確かです。

それでも前へ

また、今度離婚を後押ししてくれた方のことは書きたいと思いますが、それでも私たちは前に進まないといけないと思います。

私も私の人生を、夫も夫の人生を全うしてほしいと思います。

家族がいなければきっと開かれなかった彼の心の扉。両親への寂しさ、怒り、憎しみ。それは形を変えて私や子どもに向かっていましたが、夫はその大きさやダメージを認識していません。

他人に与えるダメージなどだれも正しく把握できないものです。今回の件で私が夫に与えたダメージはどれほど大きいでしょう。私はその罪を背負って生きるしか無いと思います。

でも、この決断は夫を幼少期からの夢の仕事へと踏み出させてくれて、私や子どもたちも穏やかな日々へ踏み出させてくれます。

 

今でも夫と美味しいご飯を食べに行きたいと思ったり、嫌いになったわけじゃないですが、お互いに後ろを振り返りすぎず前に進んでいかなくちゃと思います。

 

ミスチルのありふれたLove storyとか、高校時代の大好きソングでしたが今でも、こんな時にもぴったりすぎです。