子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

家族になる難しさ。

私は他人と家族になることができずに今生きている。

だから他人と家族になるって難しいな、大変だなと思う。

友人が今年結婚して今年子どもをうんだ。

子どものことはまだ8週目のころにその友人と会って聞かされた。まだ彼女は結婚してなくて、相手とも出会って3ヶ月とかだという。

あっという間の妊娠だった。

でも彼女が妊娠のことを伝えると「おろせ」と言ってきたという。彼女は年齢からいっても産みたい気持ちが強くて産むことの一択で彼と話をしようとしてたから、かけ違いはいくつもあった。

私としては、そもそもその言葉を口にする男性に心底軽蔑を覚えるのでありえないと思ったし、未婚の母でもなんとしても子どもを産み育てる思いがあるなら、精いっぱい応援する所存であることを伝えた。

結果的に籍を入れて彼女は晴れて子どもの父と夫婦になった。

だけどもまあ、よくもまあ彼女をそこまでコキおろせるよなぁという彼の罵詈雑言をきかされるたびに、私の元夫のことを思い出す。

その先のセリフは言えるよっていうくらいに同じ。

例えば「あなたみたいにわがままに育った人は知らない。あなたの親はあなたのわがままに付き合ってくれたのかもしれないけど、僕以外にあなたのわがままを聞く人はいない。あなたほど自己中心の人はいない」とかを、夫の食事のリクエストに応えて作ったテーブルの席で言われる。

 

深いため息が、つい。

 

でもこういうこと、類似のことが言われ続ける。

例えば一緒に出かけようと言われて準備しているけど子どもや夫が汚して洗濯をせざるを得ない時。

段取りが悪いって怒られたり、食べ物を盛大にこぼされたからその片付けをしていただけなのに「遅刻しやがって」と怒鳴られる理不尽。

こういうことに、私自身は耐えられなかった。

これに耐える価値がないと思った。

 

他人と人生を共にするリスクというのをひしひしと感じたあの頃。

なんだか、私の結婚時代を思い出してすごく辛くなる。

 

簡単に離婚を進めるわけではないけど、結婚を持続することの難しさを感じるし、持続させたいと思うならお互いに人格を否定するようなことはいうべきではない。

まあ、友達の旦那さんについて言えば「おろせ」といった時点で私としては完全アウトなやつなのだけど。

 

周りには幸せな家族もたくさんあるけれど、なかなか大変だよねぇというのも多くあって。

でも、自分の存在価値が夫に定義づけされないというのは非常に重要な事柄だと思う。だから一つに勉強してその後に働いて...というステップを保持し続けることは大事なんじゃないかと思ったり。

 

家庭に入る、的な考えも否定はしないものの家庭なんてあってないようなものじゃないかとつい思ってしまう。

 

あ、いい夫婦の日に辛辣な話だった。