子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

人生の岐路

ちょっと大きく出てしまった。

タイトルとしては一冊の本になるレベルの話だけど、日々の記録なので、ふと思ったことを。

自分が願うとか願わないとか、問答無用で変わらざるを得なかったのは、子どもが生まれる前と後だ。

正直、子どもが生まれた後でも「そんなに人は変わらないし」と思って、自分本位に生きていたと思う。

夜中に1時間ごとに起こされることもなく、昼も夜も娘はとにかくよく寝てくれる子供で、夜中の授乳っていうのも1回くらいしかなくてそれも3ヶ月目くらいまでの話だった。

息子に至っては出産後に退院してきて1ヶ月ちょっとで入院したからそういう時期もあまりなく、気付いたら3ヶ月であっという間に完ミでとにかくよく寝ていた。

 

なので、生活時間は変わっていないような気がして、そのままだらだらとしていた。でも何も変わらなかったということでもなかった。

自覚はなかったけど、変わったことはお金の使い方、時間の使い方だ。

子どものために苦しくてもお金は残したいし、自分が休むための有給じゃなくて子どものために使う有給になった。

だから旅もほとんどしなくなったし、土曜出勤の振替休みも子どもの学校行事や保育園行事に消えていく。

それでも子どもがいることが全ての起点で、子ども発で私の生活も人生も回っている。

そのことは全く嫌な感じはなくて、むしろ明日やること、明日生きることの指針というかしんがりというか、目指すべき方向を定めてくれている。

かと言って、子どもに全ての中心を置くことも現実的にはできず、世の中の母親とはまた少し違うかもしれない。ただ、比べても仕方ないしいろんな話を聞くとみんなそれぞれ。

うちの親は自分のやりたいことがある人たちだから、親のやりたいことを子どもが足引っ張っちゃいけないって思っているけど、じゃあ中年になろうかという私は今もって親に助けられてる日々で、なんだか情けなくもある。

だからせめて子どもが大きくなって子どもがやりたいことをやるために私が少しでもお手伝いできるなら、喜んで手伝いたいと思う。

明日から学校だから、また早くおうちを出て、娘と息子と登校・登園の日々が始まる。

朝の時間だって、子どもと過ごす貴重な時間だから、時間のメリハリも生活の張りも出ると。

 

こんなにもバランスの悪い私が、人の親になっている不思議。

だけど、こうやって人生をいい感じに曲がらせてくれたり新しい景色を見せてくれたり、とてつもない大切な何かを日々そばで感じながら生きているっていうのは幸せ以外の何ものでもない。

ここ10年で人生が変わったのは間違いなく子どもが生まれてから。