ふとハフポストを見たら大好きな山崎ナオコーラさんの話題があった。
www.huffingtonpost.jp一人目を産んだ時いうっすらもんやり感じたことに似ていた。
あの頃、職場は結婚ラッシュでそもそも11人しかいないのに私を含め5人くらいがどどっと結婚した。結婚したのは男性の社員ばかりだったけど。
だからその後、産休を取ったのも会社私が初。
育休復帰も初。
育休後にどれくらい働けるのか、どういう仕事がどれくらいできるのか。フルタイムで戻ったから同じようにやるつもりではいたけど、いろいろな制約も予想できて約束がどこまでできるだろうかと悩ましかった。
なので、職場と交渉して勤務時間を大きくずらしてもらって、朝は7時半から働いていた。
残業をすれば夫(今は元。)に睨まれるし、いつもダッシュで6時半に娘を迎えに行ってた。
ナオコーラさんの旦那さんは良い人みたい。
それはすごく救いなのかも。どこの家庭においても妻の仕事を夫が制限かけないこと、夫の仕事を妻も見守ることって大事かな〜と思っている。私が仕事が好きだからというのもあるかもしれないけど。
何れにせよ、母親としてもまだ1年も経たないのに仕事に復帰したら「ママとして」的な話も振られる。戸惑う。いや正直30数年の人生経験しかないし、それだってそこそこの薄さよ?と思っていた。
その会社が事実上、解散となって転職した先は大手IT企業。
これまた随分畑違いのところにきてしまった。
11人程度の従業員しかいないのにヒルズに入っていたオフィスからその10倍くらいかそれ以上いる規模感の企業に来て、娘は当時2歳の誕生日を迎えたばかり。
突然、求められる仕事の内容とスピードに頭も心もパンクしそうで初日に退社したのは19時半、翌日は20時半。とうとうそこから半年、9時前に帰れた日は5日もなかったと思う。
むしろ終電ギリギリの日が日常だった。
夜帰ってきて洗濯をして洗い物をして、自分のご飯を食べて娘の保育園準備をして寝る。というルーティン。
娘のケアは夫と実家にお願いする日々だったけど、職場では「ママ的な視点」が強みだと言われ、なんだかよくわからないまますぎていった。
でもママ的な視点を求められた時、あまりそこに悩みはなかったな〜。
ナオコーラさんとの違いはなんだろう。一つ大きく違うのは匿名性かも。私の場合はサラリーマンで、匿名の中の「ママ」だから。
ママ的な視点を職場で求められている時、そこには別にママそのものを求められているわけではなく最大公約数的な話を求められてるから自分とは少し違っても「添加物とかしんぱ〜い」みたいな話も挿し込んでた。
素の私はちょっとくらい大丈夫っしょ、だったけど。
それでもすごく職場での自分は母の要素を消そうとしてたのだと思う。頑張って他の人と同じくらい働かないと「だから子持ちは」って言われそうで。
それが変わったのは息子が生まれてから。
ちょうどナオコーラさんのお子さんと同じような4-5ヶ月の頃にはすでに保育園に預けて職場復帰、というかすぐ転職して新しい仕事を始めた。
その頃とった社会福祉士の資格で新たに医療ソーシャルワーカーという仕事に就いた。
知らない業界で、知らない仕事をして、しかも離婚直後。
いろんなことが起こりすぎていた。
おまけに息子は意味不明に咳が続く。
何週間も咳き込んでいる。SPO2は低空飛行気味。
近くの小児科医には「こんなにひどい状況が続いてるのに。喘息が重症。仕事やめなさい」と実母を通して言われたほど。それを言われた受診の日も、仕事に出かけてたから...。
少し状態が良くなって数ヶ月ぶりに出かけたら帰りに高熱、そのまま急外に行くなんてこともあったから出かけないことが続いた。
思い返せば今よりも自粛生活が続いてた。
当然、仕事も「子どもが喘息で病院に行くので」と朝だけ顔だしてすぐ帰るなんてこともあったし、午前休んで午後行ってとか度々あった。
転職してすぐは有給もなくてなかなかハードだったけど、代休やリフレッシュ休暇を活用して母にも頼み込んでなんとか夏を越え、秋を迎え、冬になり。
母には「もう限界よ。あなたどうにかしなさいよ」と言われてたから、休むときは休むし、仕方ないって開き直ることにした。当時、そういう家庭事情には興味もないし理解もしたくないといったタイプの上司だったけど、相手のそれなんて知ったこっちゃない。息子の命がかかっている。
喘息があったらまず自分が休む、その後はフローレンスさんなど病児保育にお願いする。
本当にあの頃フローレンスに救われたなぁ。
それでも具合悪ければ母にお願いする、自分が休む。そうこうしているうちに信頼できる小児科の先生との出会いもあってなんとなく前に進めてきた。
仕事で求められるママ的な何かもMSWではあまりないし、さらに転職した次の職場ではママばっかり。
仕事では母かどうかよりもMSWとしてどうかが大切(当たり前だけど)。
だけど子どもと一緒に生きてる今、子どもがいない時とは大きく違う。
勉強する時間も足りないし、仕事を離れたら子どもを追いかける日々だし、行きたい研修よりも子どもを皮膚科や耳鼻科に連れて行かねばということも多い。子どもの習い事もあってますます仕事にまつわるあれこれを仕事以外で行う時間が足りない。
得るものも失うものも天秤にはかけられない。
もしも〜を考えだすと止まらないけど、子どもがいるんだから仕方ないじゃん!て自分で割り切れてるし、何よりもこんな頭でっかちで仕事人間の自分にこんなに可愛い子どもがいるのは奇跡でしかなく、全部どうでもよくなった。あれをしたいもこれをしたいも削がれていく。
いつの間にか「子どもいるから仕方ないよね」と周囲に思われることも「ママって大変でしょ」と言われることも流せるようになってた。
「働いてて、子育てもしててすごいと思う。」
これ100回くらい言われた気がするけど何がどうすごいのか全然わからない。
心の中でいつもそう思い、苦笑いをして済ましてきた。
ナオコーラさんの記事の中で共感したのは次の言葉。
仕事というものが、労働時間や収入といったもので測られる時代は終わった。
時間や金ではない。
自分がどのように社会と関わるか、そのすべてが仕事なのだ。介護も闘病もスポーツも追っかけもSNSもコーラもコーヒーも睡眠も勉強も洗濯も仕事だ。
人生に不満を覚え、世間との軋轢に悩むときにこそ、仕事の発見がある。
いろんなことを人はやってる。大人になれば好きじゃないこともやらなくちゃいけないこともある。
幸い、私は仕事が好きで仕事を通して出会う社会は本当に自分を豊かにしてくれると思う。同時に子どもを通して出会う世界も、日々のあまり得意でない家事を通して見つける小さな発見も、内容や質に差こそあれど「仕事」なのかもしれない。好きな仕事も苦手な仕事も、ここを通して出会う世界、発見を楽しむ心の余裕とハリを持っていたい。