十人十色とは本当に良く言ったものです。
夫婦もそれぞれで、感情も関係もいろいろ夫婦ごとに違います。
我が家は最近、だいぶ落ち着いてきたので、はらわたが煮えくり返る手前くらいでお互いに落ち着けるようになりましたが、結婚して、子供が生まれて、穏やかな日々って本当に少なかったと思います。
表面上は穏やかでも心の中は大嵐だったり、疑心暗鬼だったり。このまま娘と二人で生きていく方がお互いのためだと思ったことも多々ありました。
今でも時々読んで励まされるのが、この方のこのブログ。
川崎さんご本人の体験に基づく内容で、どんな言葉よりも私にはパンチがありました。
夫を見ていてモラハラっぽいところは多少あるなぁと思うこともありますが、本当にイッちゃってるというレベルでもないので、まあ許容範囲内、前後?と思うと「価値観の、性格の不一致」といった程度です。
その程度、といってもそこには深くて大きな開きがあって、子どもへのしつけ、時間の使い方などぶつかるポイントがどこにでも転がっているので毎日、毎日疲弊してしまうわけです。
ただ、このブログを読んでいて離婚を軽く考えてはいけない、というか離婚を自分にとって都合のいい考えの中で膨らませてはいけないとしみじみ思いました。
何がどうと言えないけど離婚はきっと割り切れない思いが残るんだと思います。
開放感とか、自由とか、そんなものが待ってるわけじゃないんだなって気がしました。
もちろん、DVなどの場合はそれにはまらないし、離婚を踏みとどまらないほうがいいとこのブログにもありましたが。
結婚も離婚も、紙1枚でできるので手続きとしてはそれほど大変ではないかもしれません。
でもよのなか、21世紀になっても「結婚」「離婚」がニュースになったり社会問題になると言うことは、それだけ重要だという暗黙知があるからだと思います。
まあ、少なくとも私にとっては簡単だよ、そんなの。とはいえない出来事です。
結婚生活を続けていくことを困難に感じることは毎日のようにありますが、結婚生活をやめることもまた、困難があることを知っておかねばと思いました。
やっと最近、離婚ということを考えなくなりましたが、その理由の1つは川崎さんのブログに出会った事、もう1つは結婚生活すらよくわかっていないのに、「この状況は苦しい、逃れたい」(DVや過剰なモラハラはないのに)だけで即、離婚となるのは違うなと自分の誤りに気づいたからです。
離婚を考えながら生活する時と、考えずに生活する時とでは、自分が家庭の中で振舞う態度も変わります。
そうすると、夫も変わった気がします。変わったのは私の見え方かもしれないですけど。
こうなんだ、もうこうに違いないと決め込む前に、もっともっと尽くせる事がある、変えられる自分がいるという発見は、すごく自分を楽にすることでもあり、謙虚になれることでもありました。
夫を過剰にほめたり感謝したりとかいうのはないですが、普通です。普通にむかつき、普通に感謝する、いろいろな日があって一年が過ぎていく。これが生活なんだろうなと最近感じています。