子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

「規則」が次の制約を生む

最近ではすっかり過去となり詳細をあまり思い出せない夫との日々。

よく怒られていた頃に録音していた音声データがあり、それを先日たまたま聞き返してみました。

怒っている内容は私が実家に行ったこと、実家からの帰りが遅かったこと。

何か理由があったのかもしれないですが(そういうことを自分が言っていた)、事前に伝えずに実家に行ったことが約束破りだったようです。

これは怒られるよね、私も悪いよね、と思いました。

 

思い返せば、夫との結婚生活は結婚当初から諍いがとても多くありました。

最初は違う背景を持っている者同士だからアジャストが必要、そのためにぶつかってるんだと思っていました。

子供が生まれてからもぶつかることも減らないし窮屈さを感じていました。

彼はよく「問題があったら解決するんだ」と言っており、それは私も賛同するところですが、解決の方法にはいろんな方法があると思うし、時にはすぐに解決できないこともたくさんあります。

 

時間をかけたり他者に意見を求めたり、自分の考えを一度捨てたり。

そういうことを試行錯誤しながら前に進めるとよかったのですが、彼の中では「規則と罰則」の制定で家庭内の問題を解決しようとすることがよくあり、どうしてもそれに馴染めなかったのだと思います。

約束を作っても約束通りにいかないことがたくさんあり、特に家の中の出来事は「いつものこと」が「いつも通り」には運ばないことが多々あります。

例えば「子供の保育園バッグは黄色のカバン。だからその中に洋服を入れる」と決めていたとしても、カバンを洗濯していて他のカバンに変えることもあります。そんな風にいつも通りにいかないことがあると、その度によく怒られていました。

 

元夫は不測の事態が苦手すぎて全部ルールになっていたのですが、私がそのルールを守らないからまたさらに不快に思って怒り出すという負のスパイラルでした。

 

自分の育った家の約束事は「嘘をつかないこと」だけで、それに対しての罰則規定もなかったので、そこも結婚生活を始めてみて違和感の連続でした。

 

自分一人で生きてる時は、きっと元夫も自分に課したルールを守って安心して生活できていたと思います。結婚してルールに縛られることが苦手な私が加わり、私がルールに従えない=夫を軽視している、という彼の頭の中で理解されていたので分かり合えるなんてことはなく、「悪い私と正しい僕」の二元論から抜けられなかったんだなと思います。

実家からの帰りが遅くなったことを怒られている遠くで娘の泣き叫ぶ声も聞こえていて、娘には随分怖い思いをさせてしまったなと思います。

息子はそういう親の姿は見ていないので、また違う感じ方をしながらの成長だろうと思います。父親が日常いない中で生きているのでどういう影響があるのかなと思うこともありますが、恐怖心はなく育っていることは、よかったのかなと思ったり。