子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

そろそろ「親」でいいんじゃないかな。

少々硬いタイトルだけど子どもが生まれてから身近な話題になったのが、父親が育児をするって話だ。

「自分の子どもなんだから育児して当たり前だよ」と思う。だからイクメンて言葉も「パパの育児参加」という表現もあまり好きではない。

言わんとすることはわからなくもないので、言葉狩りみたいになるのもアレよねとは思うものの、なるべく自分では使わないようにと気を使う表現だ。

 

翻って自分が子ども時代のことを思い出す。

昭和ど真ん中の子どもの頃に父が「育児」をしていたかというと多分してない。

一緒に遊んだ記憶は結構あるけど、大人になって子どもを育てている今、育児の半分以上はすなわち家事動作でもある。

 

子どもがトイレを失敗したり、泥んこになったりして洗濯回数が増えるとか、ご飯を食べなくて急遽アレンジを加えるとか、献立には準備してなかった朝用の果物を夕飯にも添えて無理くりビタミンを摂取させるとか。

 

子どもが食べこぼした床を掃除するとか、牛乳アートをなかったようにきれいに拭きあげるとか、全部家事っぽいことだけど子どもがいてこそ生まれる家事労働だ。

 

この手のことを自分の父がしていたことはない。多分、したことないだろうな。

父はずっと働いてた。勤務していた会社は昔にしては珍しく、土日休みだったけど土曜日もゴルフだった。いわゆる接待ゴルフ

それにイベント前は忙しくしていたから父がいないのが普通だったけど、私にとって、姉がいれば家は完全無欠で父の不在に何にも疑問がなかった。

 

最近は、「家事も含めてかなりの割合を僕がしてますよ」という男性も一定数いるけど、その方々の多くは「俺、子育てしてるし!!」とは豪語してない(と思う)。みんなもう、条件反射のように黙々とやっていらっしゃる。

Twitterでこそ「今日はこれ作った」とか「子どもが熱。早退」みたいなこと書いてるけど、父とか母とか、そういう枠組みじゃなく「親」としての行動をとっていらっしゃって、なんだか近未来だなと思う。

共働きの多い現代で父だ母だと厳密に役割を分けること自体が難しくなっているのが現実なのかもしれない。

 

昔は圧倒的に夫が稼いでそのお金で家族が生活をして...というのが当たり前でそのバランスで各家庭が生計を立ててたのだろうけど、そういう家族も少なくなっていて共働きの家が多い。

女性の社会進出もあるだろうし、経済の傾きも大いに影響していると思う。昔と今、どっちが良いも悪いもないし、私自身は億万長者と結婚しても働かない選択肢がないけど、夫がものすごく外で働いて稼いできて、その代わり家のことはできないとしても文句はないかも。

 ただ、一つ思うのはやっぱり今だに多くの組織で「お母さんが家事を担い学校関係の行事に参加し、何かあれば呼び出される」と、子供とセットで「母」が出て来がちなのは変えていくべきではないかと思う。

先日も、会議での会話で「お母さんがお子さんを連れて来て」みたいなことをさも当たり前のようにさらりと話す同僚がいて、「そこは父親かもしれないし祖父母かもしれないじゃん」と思ったけど、なんとなく親代表=母になりがち。

 

それぞれの家庭の選択で、誰が何を担うかはフレキシブルに役割分担できればいい話だけど、組織(病院でも学校でも職場でも)の中で無意識に勝手に「お父さん」「お母さん」と役割を担わせてしまうのはやっぱりもう時代錯誤な気がするなぁ。