今月初旬に森喜朗氏がまたおかしな発言をしたということで大きく問題になっていた。
「全文を読めば真意がわかる」だとか「これ以上いじめないで」など、誤解だのお情け頂戴ダノの擁護者がネット上でも跡を絶たず、「愛されてんなぁ」と思っていた。
実際に全文を読んで、ますます「なんであれから(首相やめてから)20年以上もこの人が政界トップみたいなことになっているのか。ずっとずっと世も末が続いてるんだ」という絶望しかないのだけど、森さんの主張を見てみると、
女性は
- 優れているけど競争意識が強い
- 発言の時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらないから困る
- 私どもの組織委員会にも(中略)7人くらいおられますが、みんなわきまえておられる
- みんな競技団体からのご出身で国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです。ですからお話も的を得た、そういうのが集約されて非常にわれわれ役立っている
てことらしい。
これ、「女性」って主語がなければ誰のことだか一見するとわからない。
たとえば「アスリート」は優れてるけど競争意識が強い、発言時間を規制しないとなかなか終わらない(困る).......という発言だとしてはめようと思えばいろいろ当てはめられる。それこそ「医師」とか「社長」とかね。
ただ、森さんは「女性って人たちは」という主語でこれを語って大問題になっている。当の本人は「謝罪したからいいじゃないか」という向きもあるだろうけど、発言したことはどうやって撤回するのだろう。謝ったって?誰に??
いろいろと火消しをしようとした痕跡はあるかもしれないけど、何も問題が消えたわけではない。
個人的に一番、この発言の本質を見た気がしたのは「そういうのが集約されて非常にわれわれ役立っている」という発言だった。
人に対して「そういうのが」という言葉の言い回しって普通しない。
あと、「我々に役立っている」なんていい方、もはや女性は同等でも対等でもないってことを打ち出しているようなもので、しっかり読めば読むほどこの人の価値観が何に基づいているのかと考えさせられる。
この問題が、国際社会に通用しないとか時代錯誤だという指摘ももっともだろうとは思うけど、それ以上に男女が横並びであることを絶対に許すまじという強い熱意っていうか決意っていうか、とにかくその価値観から一寸も動きたくないという思いが森さんの言葉によく現れているなぁと思う。
だって「われわれ」って...。JOCの女性理事とそれ以外というくくりで語っているような話で。
でも、こういう価値観の中で「女性」という性で重宝されてきた女性たちにとっては案外違和感のないものなのだろうし、森さんと同じように考えているわけではないけど、何が問題なのかもわからないというピンぼけな人は男女問わず多くいるんじゃないかと思う。
こういう感覚鈍麻って教育の影響もあるだろうしこの社会の構造的な問題でもあるのだろう。
娘はこのニュースを聞いて「ママも私も女だけど、こんなことない!」って怒ってた。女性が男性の付属物、従属物的な考え方、いい加減に完全消滅させたい。21世紀にもなって。
特性の多くは男女差によるものではなく個体差(個人差)によるものだと思うけど、性別とか年代差でまとめようとするのは安直だなと思う。森さんの発言は昔から変わらない、彼の価値観を吐露したまでで加齢によるものではない。
とすれば、ますます重症だし、理事会で速やかに不信任決議案が出されたり話し合いががなされないことが、こういう価値観を下支えしていることの証左だなと思う。彼の発言だけど彼一人の問題ではないというか。
あと、一番実は気になったのは「的を得る」という誤用。的は射るもの。