子どもと暮らす日々のブログ

病院で働きながら子どもと生活する日々を書いています。

日常のスタート(新しい?)

6月に入って、学校もぼちぼちと始まり、給食もぼちぼちと始まる。

図書館も娘のスポーツクラブも6月から通常通りに始まるとのこと。

検温したり、マスクしたりと気を遣う日々は変わらないだろうけど、学校に行く、放課後に学童や習い事に行くっていう生活のリズムが作れるようになるのはいいような気もする。

 

子どもを育てていて、また、仕事をしていて思うのはroutineの大切さ。

子どもがだいたい6-7時に起きて身支度をしてご飯を食べて保育園(や学校)に出かける。

職場についてメールチェックをして朝のミーティングに出てスケジュールの確認をして仕事に取り掛かって...

カントほどではなくても、人って一定のリズムで生活することによる安定というのがあると思う。

だいたい同じ時間にご飯を食べて寝て、起きて...というリズムもそうだし、仕事の流れ作業的な手順もそう。

同じことを繰り返しているから異変にも気づける。

 

学校がない、仕事が在宅、っていうことによる別の日常(routine)をこの2−3ヶ月で獲得した人も多いだろうと思う。

それをまた、前に近いリズムに戻すっていうのはそれなりにストレスかもしれないし、すんなり順応するかもしれないし、人それぞれだろう。

 

我が家は私の仕事柄、割とコロナに関係なく仕事にもいき、保育園も利用し、学校がないから学童を利用して...という通常運転的な生活ペースだったから、6月からの生活が大きく変わるわけではないと思うけど、それでも内容のルーティンはだいぶ娘にとっては違うものになるだろう。

 

学校の常識、学校の規則、学校の価値観に沿って進められていく生活。学童とも保育園とも違う未知との遭遇だろう。

娘は今の所、心配も不安もなく相変わらずただただ甘えん坊で過ごしているけど。

 

学校の準備をしながら何度も舌打ちしそうになってる私。

ただでさえ、学校はあれやこれやとやらなくちゃいけないことが多いのに、マスクケースを作れって。

作れなくておばあちゃんに作ってもらったのでいつか工賃としてワインをおごらねば。

 

持ち物もプリントとメールと書いてあることが違うから「総合的、政治的判断」で全部持って行かせることにした。

この先もブログに文句を書き続けるような気がするけど、本当に小学校って大変なところだな。

先生も大変なんだろうし、教育委員会も錯綜しているんだろうし、ただただ、混乱している様子がメールから伝わる。

 

ともかく6月は始まり、今日から学校です。