もう、自分で十分にわかっている。
子どもは子どもの人生がある。だから親の私が支配するようなことは何一つできない、
すべきでない。
なのにだな。
私立中学について散々調べて過ごした週末、もう心は子どもの進学のことで頭がいっぱい。ウルトラマンごっこを絶賛している息子を尻目に。
A中はうちからも30分くらいで行けて、知人の母校でもあり、割と好印象。いや、彼らの印象でしか知らないので相当な色眼鏡だけど。
だけど、倍率が1500人を超える受験者と半分以下の合格率と...ようは御三家の滑り止め的扱いなのだろうけども、優秀な子どもたちが入学しているんだろうなってことが数字で伝わってくる。
どんな感じよ?と過去問を見たところ、ちょっとわかんないわ。全然どう解くのかわかんないわ、おばさんにはわかんないわ...と過去問の前で途方にくれた。
だけどな。頭がやわらかで、私みたいに算数を放棄するような人生を歩んでほしくなくて、親の夢と理想を押し付けて申し訳ないけど、こういう問題を難なく解いて前に進んでいく力もあるといいよねってついつい思ってしまった。
つい。
いつ私が子どもたちの勉強を見てあげられるのだろう。そもそも私がわかる問題なのか。
いろいろなツッコミが自分の中に湧き上がるけど、いつだって贔屓目に子どもを見てしまうので、ひょっとして私と違って算数につまづかないでこなせるのではないか?とか、私と同じ過ちを繰り返さないためにも...とか考えてしまう。
72-5で計算スピードが猛烈に落ちる母親を持つ子どもの算数の限界はどこのあたりだろう。
算数できなくて諦めた夢が山ほどあるし、その分、言葉とはだいぶ仲良くしてきたけども言葉とも数字とも近親者でいて欲しい、子どもには。
という大きな期待をしつつ、こういう考えをあまりにも発達させると教育ママっていうか毒親になっちゃうんだろうなって思う。
まずは、優しさと真の強さを。
私にも子どもにも。