保育園のお迎えに行くと、息子と同じクラスの子がわんわんと泣いていた。
その子は妹がいて、妹も保育園に来ている。
息子とは同じクラスで過ごして4年目。お互いに0才児のときからのお友達だ。
妹は昨年生まれていて、ようやく歩き始めた頃だ。
あまりじっくり比べていたわけではないけど、息子がまだまだおむつでがっつり過ごしていたときも、友達はいち早くおむつが取れていた。
息子が超絶大暴れしていて先生の手を煩わせていたときも、いつもにっこり穏やかで、賢さも垣間見せていた。
そんなあの子が最近、よく泣いている。
泣いてなくてもおむつを履いたり帰りの支度にひどく時間をかけている。
お迎えのときにわんわん泣いていたその子の様子を見て、数年前の娘の姿と重なった。
年齢の小さい息子を先にお迎えするからどうしても娘が後になる。そうすると、息子を抱っこして娘のクラスまで行くことになるから少し機嫌の悪い日は、拍車をかけて癇癪を起こす。
娘の場合は、保育園の中ではぐっと我慢をするようで、帰り道に脈絡なく突然座り込んで動かなくなって大泣きしていた。
息子を抱っこひもで抱っこしたまま、娘をおんぶしたり抱っこしたりすることも当たり前のようにあった。
息子のお友達の涙を見ながらその頃の私と娘のことを思い出してしまい、少し切なかった。
わがままじゃない。だっこしてほしいだけ。
甘えたいだけ。
そういうときがたくさんあって、いっぱいかまってほしいというのが娘の気持ちの根底にあったように思う。
「今自分がすっごく温かく安全なところにいて、包まれていて一番にしてもらっている」っていう感覚は誰もが必要とする時がある。
子どもを見ていると、とくに下の子が生まれたり、下の子と親が抱っこしていたりお世話していて手がかかっているときほど、「自分のことを一番に見て」っていう要求が出る気がする。
無理だなと思っても毎回断ってしまうときっと、子どもの甘え先が親以外になってしまう。そういうふうになってしまうことは嫌で、抱っこしながらおんぶすることも、ダブル抱っこもやっていたけど、うちの子だけが特別に甘えん坊なわけでもなく、どこのご家庭にもあるのだな、と保育園での光景を見て思った。
娘の癇癪は小学校に入るまで続いた。つい最近だけど昔のことのよう。
下の子がいると、本当に何気ない言葉や行動で、ものすごく上の子が嫉妬していることもある。いつか嫉妬もしなくなる日が来るけども、子どものわがままとも違う、「甘えたい」っていう思いにどうやってこたえていくかは、本当に難しい課題でもあるなぁと思う。
子どもがそのとき、そのときに感じたつらさ、痛み、嬉しさ、悲しさ、怒り...いろんな感情を想像しながら共感したり慰めたり励ましたり、一緒に喜んだり悲しんだりしながら、子どものことを受け止めていきたいなぁと改めて思った。